6.16.2011

[film] Out of the Blue (1980)

まだ6月3日の金曜日なのだった。

Angelikaで"Submarine"を見てから、そのまま横に流れてAnthology Film Archivesで、Dennis Hopperの"Out of the Blue" (1980)。
なんでかこれの35mm New Printが焼かれて、一週間だけ公開、だって。
こんなの見るしかないよね。この日が初日で、7:15と9:15の回のみ、見たのは9:15の。

彼にとっては、"Easy Rider" (1969)、"The Last Movie" (1971)に続く3作目で、これに続くのが"Colors" (1988)なの。

タイトルの"Out of the Blue"は、Neil Youngの"Hey Hey, My My"のあれで、これがそのままテーマ曲としても流れてて、Dennis Hopperはこの曲を聴いて、パンク映画をつくろう、て作ってしまったのだと。 すごいねえ。

家族3人のお話で、パパがDennis Hopperで、娘がTerrence Malickの"Days of Heaven" (1978)に出ていたLinda Manzで、あとはママ。

冒頭、いきなりらりらり状態のままトラックでスクールバスに突っこみ大惨事を引き起こす父娘。 父はそのまま刑務所行きで、娘は立派にパンクになりました、と。
別に髪をおったてたり体にピン刺したり家出したり喧嘩したり過激に暴れたりするわけではなく、「ヒッピーを殺せ、ディスコをぶっつぶせ」とかつぶやきながら、野良猫みたいにいらいらうろうろしているだけなの。

最近のガキがロック!とか、パンク!(びっくりマークつき)とか言ったり「アティチュード」とかポーズとったり、というのとはぜんぜんちがう、パワーゼロの、すれっからしの、ゴミみたいに汚れて目つきの悪い娘の行状を描いているだけなのだが、やはりこれが、これこそがパンクなんだわ、としか言いようがないの。

というわけなので、映画としての盛り上がりには、ものすごく欠ける。
殺伐としているばかりで、退屈で、暗くて、寒いばかりで、なんじゃこれ、の連続で、でもパンクってそういうものなんだからしょうがないの。
カセットで録ったデモみたいに荒れてて、へたくそで、上がっていかない。

たぶんこれと、ドキュメンタリーの"We Jam Econo: The Story of the Minutemen" (2005) あたりを見れば、アメリカのサバービアにおけるパンクのコアとか成り立ち、みたいなところはわかるのではないだろうか。

それにしても、Neil Youngのあの曲を聴いただけで、それだけで、なんでこんなものが作れてしまうのか。 しみじみ謎。

ここでのDennis Hopperの役柄は、"Blue Velvet" (1986)の変態おやじにそのまま繋がっていくようだし、Linda Manzは"Days of Heaven"のLindaが流れてきたかのよう。 
そして、同年の、すばらしい女の子映画、"Times Square" (1980)とも - あれは街の女の子のお話だったが - ともそのどんづまり具合において、はっきりと反響しているとおもった。

それにしても、"The Tree of Life"の中で描かれる家族が、あのブラピ一家ではなく、この一家だったらなあ、とかちょっとだけ夢想した。

6.10.2011

[film] Submarine (2010)

まだ先週金曜日(3日)だす。

この日公開になる映画のうち、なんとか時間を調整して見るべし、と思っていたのが2本あって、ひとつがこれと、もうひとつがMike MIllsの"Beginners"だった。
のだが、もう1本、やっぱしこれは見ないと、というのが突然横から出てきたので、Mike Millsのは諦める。 彼のは日本でやってくれるかもだし。

自身も俳優で、Vampire WeekendなんかのPVとかも撮っている英国人の映画監督デビュー作。 どっかのレビューでWes Anderson + Hal Ashbyとあったが、うん、おおざっぱにはそんなかんじかも。

映画のポスターで正面を向いて堅い顔している男の子が主人公のOliver君15歳で、いつも紺のダッフル着てて、地味でぱっとしてなくて、家族にもなんかうんざりで、そんな彼が同じがっこの女の子、Jordanaさんを好きになるの。

彼女はいっつも赤着てて、ぶーっと仏頂面で、無口で、このふたりをまんなかに置いて、前と後ろに(ウェールズの?)海とか海岸線を持ってきただけで、それだけでいいの。
それだけで、不治の病とか自殺とかいじめとかトラウマとか、そんなの持ってこなくたって、彼の途方に暮れた表情と、彼女の不機嫌な眼差しがあるだけで、青春映画としてじゅうぶん達成されてしまうなにかがあるの。 それでいいや、て思ってしまうの。 年寄りはとくに。

最近(でもないか)だと、"Garden State" (2004)とか"The Squid and the Whale" (2005)にもあった、小声で下向いて「こんな世界なくなっちゃえ」ていうつぶやきで世界をじっとり埋めつくすあれ、とか、"Greenberg" (2010)の、もやもやもんもんした雲のなかにある世界のあれ、とか。
(そういえば、Ben Stillerは本作のExecutive Producerで、いっしゅん出てくる)

トリュフォーのドワネルものとは、ちょっとちがうかなあ。

たまにHDで撮ったみたいなぎざぎざしたとこが癇に障って、ああこれがちゃんとしたフィルムだったらー、とか思わないでもないが、贅沢いわない。

音楽は北極猿のAlex Turnerくんで、もっとちゃらちゃらしたかんじかと思ったらものすごく地味にしっとりしててよいかんじだった。
帰りにOther Musicで、これのサントラ - 10inchのアナログを買おうかどうしようか悩んで、結局やめちゃった。

6.06.2011

[film] The Hangover Part II (2011)

IFC Centerを出てだらだらとEast Villageのほうに歩く。
まだ木曜日なのにこんなことしてていいのか...  よくない。

ワゴン車営業が主なアイスクリーム屋のVan Leeuwenがこないだ7thにお店をオープンしたので行ってみる。 お天気のせいもあったが、すんばらしく気持ちのいいカフェでー、これでかき氷とかあったら最高なんだけどなー。

http://www.vanleeuwenicecream.com/













で、晩の8時過ぎにAstor Placeのシネコンでみました。

映画の冒頭でBradley Cooper扮するPhilが、前回と同様に携帯をもって空を仰いで「またやっちまった」、と呻く。 これにつきるの。 

見るほうはその自白を受けて、そうかまたやっちまったわけね、という目でこれからの展開を追跡して検証していくことになるの。 気がついたら体の一部が変になってて、よく知らない動物がいて、仲間がどっかにいなくなっててさあ大変、と。

そういう意味では、"The Hangover"を最初に見たときの驚愕とスリルはなくて、そのかわりに、ほうらやっぱり、的な確信と共に全ては動いていって、その確信と期待は最後まで裏切られることは、まあない。 
それでも/だからこそおもしろい、という言い方はできるし、それじゃつまんない、という見方をすることもできる。

自分がTodd Phillipsのコメディに求めているのはシュールなお笑い世界とそのバリエーションを作ること、というよりは、どこまでも卑劣で下品でしょうもない一過性のギャグを、その連鎖を惜しげもなく垂れ流してほったらかし、のほうにあって、そういう点からすると今回のはあんま、かも。 
一回はこういうことやっておけば、お金は儲かるし、程度かなあ。

今回は、言葉のあんま通じない異国でそれが起こる、とか、そういう場所なので起こってしまった出来事も荒っぽかったり痛かったり、とか、追っかけて行った先で起こるどんぱちが派手だったり、そういったことが米国人の憧れるエキゾチックなエイジアンリゾートであるところのタイで起こる、そのギャップが米国人からみたらおもしろい、のかもしれないけど、アジア人からみたら、べつにあんまし、よね。

前回はいなくなったのがウェディングの当事者だったから大騒ぎもわからないでもなかったのだが、今回いなくなるのは花嫁側のガキだし、あんなの置いておきゃいいじゃん、とかおもうし、Heather Grahamみたいなおねえさんはいない(かわりにおかまさんが・・・)し、Paul Giamattiは出てくるけど、そんなに暴れてくれない。 まえに見たimdbにはPresident Clintonとかクレジットされていた記憶があったのだが、どっかいっちゃったのか。

というわけで、いちばん楽しみで、すさまじくおもしろいのはやっぱし最後に発見されたカメラ映像のとこで、これのために、ここまでの100分をすてても、見に行く価値ある...  とおもうよ。

[film] ! Women Art Revolution (2010)

IFC Centerで水曜日に公開がはじまったばっかりのドキュメンタリー。
あたまの"!"は、最初から付いているの。 略して"! W.A.R."。

予告でMiranda Julyの新作"The Future"がかかる。猫足がたまんない。
Godardの"Socialism"の予告もかかる。はじめてみた。かっこいい。
それからR.E.M.の"Collapse Into Now"のFilm Projectから1本かかる。M.Stipeが着ぐるみ着てるやつ。

自身もアーティストである監督のLynn Hershman Leesonさんが68年頃から40年に渡って撮り続けてきた女性アーティスト達へのインタビュー、パフォーマンスを纏めたもの。

Adrian Piper, Judy Chicago, Nancy Spero, Guerrilla Girls、最近だとMiranda Julyも。 作品としてYoko Onoのむかしのパフォーマンスも一瞬。

フェミニズム運動とかアートとか、それらを、それへの共闘を声高に訴える、ということよりも、まず、なんで女性のアーティストって、女性というだけで美術館やギャラリーから遠ざけられたりしてきたんだろ? ほら! と。

えーそうだったの? アメリカなのに? と最初は思うのだが、ものすごく沢山の活動、沢山のアーティストが出てくるので、これはやはりどこか変だったのかも、闘いは続いていくのかも、という気にはなってくる。 ここに出てくる女性アーティスト達に悲壮感のようなものはまったくなく、それ故にその語りについ引き込まれてしまうような。

フェミニズムへの理解云々、というのとは別に置いて(置いておいてもだいじょうぶ、というくらいの間口の広さは当然)、あらゆるメジャーなんかくそくらえで、マイナーなアートを愛するひとりとしてこれはなんとかすべき問題だよね、とごく普通に思う。

そもそもアートの質としてどうなん? というのは当然あるにせよ、映画のスクリーンはそれを評価する場所ではないので(映画に出てくる作品はここ - http://rawwar.org/ - に網羅されている。さっきみたらAmanda Palmerさんのライブ映像とかもあるのね)、まずは60年代からあがってきたいろんな声を、いろんな顔を、まずは見て、聞いていくしかない。 どれもおもしろいよ、やっぱし。 そしてみんなとてもよい顔のひとたち。

最後のほうで、既に亡くなってしまった皆さんの顔がでてくる。
40年分だから決して少ない数ではないのだが、でも映像のなかではみんな笑っているの。

サントラは、Sleater-KinneyのCarrie Brownsteinさん。
エンディングのタイトルロールではこのバンドの演奏シーンが映るのだが、ドラムスを叩いているのはJanet Weissさん(見なくてもわかるけど)で、まだまだ続くんだなあ、と更にしみじみした。

まあ、日本ではやんないだろうな・・・

6.04.2011

[film] Bill Cunningham New York (2010)

水曜日の晩、下のほうに降りて9:30の回をみる。 ようやく。

かかった予告がどれもいかった。 "Trollhuner"(ノルウェーの怪獣もの)、 Monte Hellmanの"Road to Nowhere"(ついに)、そして"Crazy, Stupid, Love" (役者さんが豪華)。

さて、Bill Cunninghamは、主にNew York Timesのためにファッションスナップをずうっと撮り続けているおじいさんで、その彼の日常を追ったドキュメンタリー。 タイトルに彼の名前に加えて"New York"とあるのは、彼とNew Yorkのお話し、彼を通して描かれるNew Yorkという街のお話しでもあるから。

New Yorkを、ある時期のこの場所のファッションを追ったドキュメンタリーとして、今後は必須・必殺の参照アイテムとなることでしょう。すばらしい。 見てよかった。

カーネギーホールの上の穴倉のようなStudioに住み(やがて立ち退きが実行されてしまうのだが)、作業着を着て自転車(28台盗まれて29台目)に乗って、どこにでも行って、にこにこ笑いながら鳥が餌をつまむように、ダンスのステップを踏むように、驚くべきスピードで写真を撮りまくる。

Vogue誌のAnna Wintourは彼には10代の頃から撮ってもらっているのーと猫みたいにめろめろになるし、Metropolitan MuseumのCostume InstituteのキュレーターであるHoward Kodaも、眼鏡おばあさんIris Apfelも、誰もが彼の撮るファッション写真の正しさ、的確さを讃え、メディアからもデザイナーからも街のおしゃれ小僧からも、誰からも慕われる。

ひとには興味がない、と。 セレブが着ているとか誰それが着ている、どこのブランド、とかそんなのはどうでもいい。 まず服を見ろ、その線を、いくつもの線を、シェイプを、色を、それらの重なりや連なりが織りなす像を見ろ、そこに全てがあるんだから、ていうの。

服飾は都市を、そこでの生を生き抜くための、或いはそこでの生を守ってくれる皮とか羽根とか鎧とか、そういうもので、だからそれらを追って束ねた彼の写真はそのままNew Yorkという街を映す鏡(ラストにVelvetsの"I'll be your mirror"が流れる)として、びっくりするようなリアルさでもって現れてくる。 こうして、ファッションの街として呼ばれるところのNew Yorkは、彼の写真によってはっきりとその貌を露にすることになる。 アジェのパリ、桑原甲子雄の東京、とおなじように控えめな、しかし幾重にも連なる重奏としてそこにあらわれる夢としての街のかたち。

だからしかし、真摯な表情として現れてこないような服やファッションに対しては、ショーのフロントローにいようとも決してカメラを向けない。 そういうお茶目な厳格さでもって、ミズラヒがある時期のジェフリー・ビーンをぱくったこととか、アルマーニもどっかの昔のデザインから持ってきていることをそれとなく暴露したりもしている。 単にぱしゃぱしゃシャッターを切るだけの記録屋でもないの。

ファッションと都市を追ったドキュメンタリー、という側面の他に、彼の暮らすカーネギーホールのStudio長屋に暮らす他のアーティスト - 同じく写真家のEditta Sherman - との思い出話もすごくおもしろくて、興味深くて、ここだけで番外編作ってくれないかなあ、とおもった。  
他にどれだけこんなふうなお話しが埋まっているのだろうか。

最後の最後にインタビュアーが彼にいくつかの質問をするのだが、そこだけちょっと泣けるかも。
ヴェンダースのベルリンに出てきた天使とおなじようなおじいさんなんだなあ、て。

このおじいさんがカメラを持って見守っている限り、世界のブランド地図がどんなんなっていこうが、おしゃれの世界はだいじょうぶだろうな、ておもえた。

あと、ちょっとだけ出てくるTom Wolfeも、すごーくかっこいいおじいさんだった。

[film] Midnight in Paris (2011)

"The Tree of Life"のあとで、ホテルに戻って部屋に荷物をひきこんだらもう5時くらいで、すっかり会社に行く気をなくしてしまったので、もう1本みることにして、再びダウンタウンに戻って、Angelikaでみました。
見れるうちに見ておかないとなにが起こるかわからないし。

Woody Allenによるパリ。
彼の描いたイギリスやスペインとは、やはりぜんぜんちがう。 でもAllen、ではあった。

主人公達がOwen Wilson (とRachel McAdams)だからか、それはそれはそれは軽くて楽しいの。

Owen Wilson(Writerをやってる)扮するGilとRachel McAdamsが婚約中のカップルで、彼女の両親と一緒にパリに来ていて、いろんなことにうんざりしてきた頃、ある晩に酔っぱらってひとり街角に座っていたら深夜の12時にどこからか車が現れて、乗れっていうから乗ったら酒場に連れていかれて、そしたらそこでCole Porterが演奏してて、ZeldaとScottのFitzgeraldに会うの。 
そこはなんでか、20年代のパリでした、と。 落語だよね。

アメリカ人にとっての憧れの20年代のパリに現代のアメリカ人が迷いこんだら... というそれだけのお話しで、数晩にわたって通っていくうちに、Hemingwayと会って、Picassoと会って、Gertrude Steinと会って、Alice B. Toklasと会って、Man Rayと会って、Salvador Daliと会って、Luis Buñuelと会って、Josephine Bakerがいて、T.S. Eliotがいて、Matisseがいて、Toulouse-Lautrecがいて、Gauguinがいて、Degasがいて、もうなんでも出てくる。 
動物図鑑じゃあるまいしそんないっぺんに出るもんか、とか思うものの、なにしろOwen Wilsonだもんだから、いちいちリアクションがおもしろくて、たのしい。 

いろいろ文句はあるのかも知れないけど、みんなそれぞれ味があってよくて、特にAdrien BrodyのDaliとKathy BatesのGertrude Steinはよかったかも。 Zeldaを演じているのは"Scott Pilgrim"でドラマーをやっていた彼女で、そこだけちょっとうーん、だったかも。  
でも、ほんとたのしいよね。 客席もいちいちわあわあどよめいていた。

映画絡みだと、GilがBuñuelに対して、きみはそのうちこんな映画つくったらいいんじゃないかなあ、ていうの。  その映画というのはねー。

あとは、実際にいた人物かどうかはしらんが、Marion Cotillard演じるPicassoの愛人- Adrianaが出てきて、そんな彼女は20年代ではなくて19世紀末、ベルエポックの頃のパリに憧れていたりする。 そんな憧れが吹き溜まる場所として描かれる、画家たち(とそのイメージ)によって永遠に保存されているパリ。

マリッジブルーに陥った男が20年代のパリに逃避したくなっただけ、のおはなし、或いはAllenがいっつも描く、ここではないどこか(含.天国とか地獄)、を求めて悶々逡巡してばかりの小噺、にちがいないのだが、それはそれでいいのよ。 Owen Wilson全開だし。 

どうでもよいことだが、Rachel McAdamsの上腕のたぷたぷにはちょっとびっくりした。
Owen Wilsonはあれがこわくなったのではないか。

日本でもまちがいなく公開されることでしょうが、その前にこれのひとつ前の"You Will Meet a Tall Dark Stranger" (2010)もぜったい。  おもしろいから。

[film] The Tree of Life (2011)

もう帰りのJFKだす。 あっというますぎる。

行きの飛行機は、こないだとおなじ5月のメニューだったので見るもんがなくて、しょうがないので、ひさびさに"Enchanted" (2007)とか見て、ああこの頃のAmy Adamsはまだ可愛かったのだねえ、としみじみしてから、"The Fighter" (2010)を見て、3年でここまでー、と思って、それからなんとなくもいっかい"Tangled" (2010)を見た。 そんなていど。

着いたら夏で、あっつかった。

ホテルの部屋が空くのが3時、ということで、これは例によって予測していたわけだが、荷物を預けてそのまま地下鉄でダウンタウンに向かって、Sunshine Landmarkで、みました。  

今年のカンヌ、デ・ニーロが審査委員長になった時点で、これがパルム・ドールを取るであろうことは大体予測できた。 彼がダルデンヌ兄弟やカウリスマキに賞あげるわきゃないしね。

予告なしにいきなり始まる。

あんま説明しにくいのね。 すごく変な映画。

50年代のある家族の風景、アメリカ郊外の風景、父がいて母がいて、子供がふたりいて、と、子供のひとりは(おそらく)戦死して、ひとりが歳をとってモダンな建築事務所かどこかで働いているところと、宇宙の起源とか生命の起源とかが、時間の流れも含めてランダムに交錯していく。 

家族の誕生と喜び、成長、イノセンスの喪失、そして死後の世界まで、これらが宇宙とか地殻変動とかバクテリアとか恐竜とか隕石衝突とか、そういうのとぜんぶ繋がっている、とはいわない。 これらのイメージが意味あるかたち - "The Tree of Life" - のようなところに明示的に連鎖・連携・収斂していくわけでもない。  
おおきな樹とか光がところどころ現れるが、これらが特になにかを言わんとしている、とも思えないし、特にシンボリックな使われ方をしているわけでもない。 それぞれのショットは短めで、落ちつきなく切り替わり、音楽はぶ厚い荘厳なやつが絶えまなく、わんわん鳴っている。 音像・音響は、例によってすさまじい。

文章で書いてしまうとなんだそりゃ、な感がいっぱい出てきてしまうが、とんでも、とか、ムー、とか、或いは詩的、とか普遍性とか、そう簡単には言えないような作りになっているように思えた。 映画でしか表現できないなにかを追っていったらここまできた、みたいな。

前作の"The New World" (2005)も、たしかに変な映画ではあった。
文明の起源、成り立ちとその段差、みたいのが、ものすごくいいかげんに乱暴に、並べられていて、でもあそこで流れている河はすごかった。 おなじように、今回は、樹がすごい、とは言おう。

あるいは、”Badlands” (1973)や"Days of Heaven" (1978)にあったアメリカの道路 - Terrence Malick の道路、と言ったほうがよいかもしれないが、それがいっぱいでてくる。

アメリカの50年代、晩夏の夕暮れの風景、子供の頃に見たであろうああいう風景が、なんであんなにおなじような郷愁というか、なんとも言えないなにか、として迫ってくるのか、不思議だ。  なんだろ、あれ。

Brad Pittが父親で、Jessica Chastainが母親(すごくよい)で、Sean Penn - ここでのSean Pennは、Mystic Riverの彼のよう - が成長した彼らの息子で、でも彼らがお互い意味あるような会話をするシーンはないの。 父親は父親で(ああいう時代だから強くて、絶対で)、母親は母親で、子供はああいう親のもとで育つような子供として、ごくふつうにある。 われわれのイメージの根源にある、そういう汎化された中流の家族の像に、われわれのイメージとしてある宇宙だの惑星だのがダイレクトにぶつかる。

ブラピを猿人に対置してみて、『2001年宇宙の旅』と同じようなかんじか、とか思わないでもないが、あれともちがうよねえ。 とうぜん。

音楽の奥のほうで、囁くようなかんじで"How... ?"、”Why... ?”、"Where... ?"ではじまるようなひとりごと、問いかけがずうっと。  これらのつぶやきが宇宙の彼方からとんでくる。

これらの問いは、彼らの生の条理不条理の苦悶から絞り出されてきたわけではなく、また問いの答えが得られたからといって、彼らに安らぎがもたらされるわけでもないようにみえる。 
安息と不安の狭間で、なんでここで、こんなんなっちゃっているんだろ? という溜め息、そのときに見上げてしまう空とか樹とか。 そんなようなー

138分間、ずうっとこれが続く。 これはこれですごい。

これとおなじようなことをずっと昔からやっているのが、例えば大島弓子で、ホームドラマと宇宙とか天体の運行をごく普通に対置して、びくともしない。

そういえば、ところどころで現れる光の渦、あれは「ジギタリス」だよね。