12.27.2023

[film] La passion de Dodin Bouffant (2023)

12月22日、金曜日の晩、ル・シネマ 渋谷宮下で見ました。

英語題は”The Taste of Things”、邦題は『ポトフ 美食家と料理人』- 元のタイトルは”The Pot-au-Feu” だったらしいが、この邦題はなんかやだな。食べるひとと作るひとみたいなー。
料理の監修はPierre Gagnaire(少しだけ出演もしている)。

前日に続いてのJuliette Binocheものだった。しかもどちらも幸せを十分掴みきれなかったような彼女。

1885年のフランスの田舎で、一軒家の広い台所でEugénie (Juliette Binoche)と下働きの女性のふたりが黙々と料理を作っている。EugénieのパートナーのDodin Bouffant (Benoît Magimel)もそこにいて手伝ったりしているが、後に向かうにつれて、Dodinがメニューやレシピ、食材を考えてEugénieがそれを実現して、Dodinを含む正装して肥えた男たちがもりもり食べまくる、という構図になっていることがわかる。

冒頭ででっかいセロリ根を掘りだしたり、葉っぱを切り出して運んだり、大きな鍋に素材をぶちこんだり出したり、余計な音楽を入れずに外から入ってくる鳥たちの声の他は食材を切る音、叩く音、焼く音、煮る音、それをやる際に力を込めたりするときの鼻音、鼻を抜ける息遣いなど、つまり料理をする時の音と光がぜんぶあって、ここに欠けているのは匂いと温度・もわもわ感くらい、これだけで2時間続いても構わないくらいにすばらしく、その結果としてできあがったお皿を客の前に運んでいって、客がそれを戴く、ただこれだけなのだが、中心にあって目を見張らざるを得ないのは鶏とか肉の塊りとかでっかいヒラメとか牡蠣とかがどんなふうに料理されてその形を変えて見ているもの(どれだけ泣いてもあがいても目の前のこれらを口にすることはできない)の涎を搾り取ろうとするのか、そこに延々すべてを注力しているかのように見える。ものすごく怖くて底抜けで突き落とされるスプラッターホラー、とてつもなくエロいポルノ、並みの殺傷力でやってくる。だからどうした、ではあるのだが。

一応ストーリーぽいのもあって、どこかの皇太子のところに招かれて8時間ぶっ通しのコース料理に臨んだ彼らが、今度はお返し(復讐)におもてなしをしなければ、となったところでDodinは「ポトフだ」、っていうの。漫画や昔話によくある豪勢 vs. 質素対決で、研ぎ澄まされたシンプルなのが勝つパターンのあれかな、と思っていると、料理を作りながらよろよろしていたEugénieの病気が悪化してポトフどころではなくなったり、同じ家に暮らして料理を作っては食べを繰り返してきながら結婚していなかったふたりがやっぱり一緒になろうか、になったり、いろんな出汁が足されたり灰汁が除かれたりするものの、全体としてはDodinのパッション、というところに尽きるのかしら。全体を通してずっとシリアスな顔をしているものの食べ物への欲望が常に上位にくるただの食いしん坊でしかない、ような。

そしてEugénieは、あれだけの大量の料理を彼女は誰に向けて作り続けていったのだろうか? or ただ調理していく過程とかプロセスが楽しかったのか? Dodinのため? 彼のためだけに20年間もずっと一緒に? というのは少し思った。それくらい人が料理に向かう理由っていろいろある気がして。(でも19世紀末だとどうなのか..)

料理を食べる歓びと作る歓びがあるとした時、この映画はどちらかというと後者を真摯に描こうとしているようで、大きな台所、大きな鍋があってずっと火がくべられていて、水も氷もたんまり使えて、こういうところなら一日ずっと料理していたくなる。すべてが用意されたすばらしい読書室のような。

筋書きでいうと、やはり料理を通してできあがっていったふたりの愛、ということなのだろうけど、料理ができあがる方にばかり目がいってしまってそこまで辿り着かないのが難しいところかも。

フランス料理を8時間ぶっ通しで食べ続けることができるのか? たぶんできる気がする。これってDodinの言っていた「ストーリー」に関わるところ - 食材が出てきた季節と土地・風土とその加工や調達に掛かる手間と時間、その帰結として要請される調理法とやってはいけないこと、それを戴くときのお作法まで、あれこれを総合した複雑ななにかがお皿にのっかって現れたとき、それを拒否することなんてできるものだろうか? とか。 

日本だと今回の「ポトフ」に該当するのは「豚汁」あたりかしらね?

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