12月3日、日曜日の夕方、国立映画アーカイブの特集『返還映画コレクション(1) - 第一次・劇映画篇』で見ました。
監督・脚本の島津保次郎の「松竹最後の作品にして最高作」と作品説明にはあったので。
間宮敬介(佐分利信)と妻あき子(三宅邦子)、敬介の妹文子(桑野通子)の三人は同じ家に仲よく暮らしていて、敬介は会社の専務との囲碁に付きあわされて冒頭の場面でも午前1時に帰宅して、あき子と会話して寝るだけ、小さな貿易会社で翻訳事務の仕事をしているらしいモダンな - 洋服かっこいい - 文子は同情しているのか軽蔑しているのか関係ないふりをしている。
場面は会社での敬介の仕事ぶり- 数字に強くて優秀で上を含めて周囲から認められている反面、囲碁ができるから上に気に入られているんだろ、とか河村黎吉をはじめとするやっかみ組も湧きはじめている – と毎晩そういう糞玉にまみれたりして家に帰ってくる夫をどんなふうであれ朝に晩に受けいれて送りだすあき子の会社員の家世界と、大変ね~ とか言って距離を取りそっちを見ないようにして我が道を行こうとする文子の世界、このふたつをじーっと描いていく。めちゃくちゃ地味だし、ここからどう転がるんだ? って思いつつもなんでか目を離すことができない。
文子の会社に仕事でやってきた有田(上原謙)が文子を見初めてお付き合いしたい、と申し込んでくるのだが文子はめんどくさいので結婚してます、ってウソをつくと有田は叔父である敬介の会社の専務に報告して裏をとって(… こわすぎ)、改めてどうでしょう? になったり、間宮の家で行われた文子の誕生日の会で交わされるなんだかみんな遠くにきちゃったわね、の会話とか、3人で箱根にピクニックに行って富士山を手のひらの上に乗せたりとか。会社的なあれこれから離れたところでの文子とその兄、その義姉の世界は割と穏やかだったりする。
敬介のいろんな仕事とか数字のしがらみにまみれて、でもすごく大きな不満も不安もなく流れ流されていく日々と、ただの妹ではなく「その妹」 - “The 妹” - と特別に強調されてしまうくらいに浮きあがった - 浮きあがるように造形された文子の世界が彼女の縁談話と共にゆっくりなにかに絡みとられようとした時…
敬介の会社の出世に関わる中傷のほんとにどーでもよい愚痴ごたごたは、現代の会社でもゴルフや飲み会の場でふつうにありそう - なので翻訳なしで言語が伝わるくらい鮮明に理解できる - で、そういう肥溜めみたいなところをしゃぶ漬けになって生き抜いてきたあれら神経のないじじい共が戦中戦後を支えてきたのだから、この国のいまの停滞だって推して知るべし。
で、ぶちきれて河村黎吉をぶん殴る敬介をやや離れた距離でとらえるシーンはありがちな爽快さからはやや遠めで、あららやっちゃったよ、を第三者が遠くのなにかをとらえて目撃する図に近くて、でもあの引っ叩きかたはちょっと痛そうでよかったかも。
こうして会社にいられなくなった敬介は、彼の経験したような柵を振り払ってひとり会社を立ち上げていた笠智衆 - 文子が名刺を貰っていた - のところに向かい、彼からは一緒に大陸での仕事をやらないか、って誘われて任されて、「その妹」もまた申し分なさそうだった上原謙との縁談を蹴っとばし、3人揃って中国行きの飛行機に乗り込むのがラスト。飛行機が滑走路を走り出した時、窓から外を見ていた文子が車輪に草が絡まっているわよ! ってなにが楽しいのか楽しそうに言うのだが、ここにはどんな意味があったのだろうか? ① そんなふうに絡まったって意味なさそうだけど、まるで私たちみたい ② 飛行機が飛びたった後に絡まったのが原因で大爆発しちゃえばいいのに ③ 絡まって大陸に渡ったあとに外来種として根をはって生きるわよ ①が妻で、②が妹で、③が夫の視点、だろうか…
小津的な穏やかさとも溝口的な厳しさとも成瀬的なやりきれなさともどこか違って、どこにも向かうとも知れずに車輪に絡み取られて飛んでいってしまう平熱の雑草感があって、これはこれですてきだと思った。
12.08.2023
[film] 兄とその妹 (1939)
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