7.14.2023

[theatre] Met Opera: Don Giovanni (2023)

7月6日、木曜日の晩、東劇のMetLiveViewingで見ました。

モーツァルト(台本:Lorenzo Da Ponte)の『罰せられた放蕩者またはドン・ジョヴァンニ』。
Ivo van HoveのMetropolitan Opera演出デビュー作品、というのであれば、見ておきたいかも、と。
女性指揮者のNathalie StutzmannもMetデビューとのこと。

モーツァルトのオペラはものすごく昔(25年くらい前)に、Metで『フィガロの結婚』を見た。あれはふつうに見て楽しいやつだったが、今度のは「罰せられた放蕩者」のトーンが強くて暗そう。 以下、オペラの歌唱のありよう(この場面でこんなふうに)や個々の歌手の実力や見事さみたいなところ、あるいは「通常」のオペラ演出みたいなのに踏み込んだ感想は無理だけど、どんなことが書けるかわからないままー。

舞台セットとライティングは昨年見た”The Glass Menagerie” -『ガラスの動物園』と同じくJan Versweyveld。幕が開いたところだと、楽屋つき抜けとか全体俯瞰方式とか、いつものIvo van Hove/ Jan Versweyveldみはそんなになさそう、ふつうのMetのオペラのセットみたいでなーんだ、になるのだが、これらの窓とか壁とか中庭とかバルコニーとか、実は刻々と細かく動いたり変わったりしていって、最後の方は全体が発光する魔の山のようなすごいの(怪物みたいな)になったりする(この辺、カメラがそういうのを追えていなかったのは残念)。最初はデ・キリコの描いた町や壁のかんじもあったのだが、幕間のインタビューによるとあれはエッシャー(抜けられない止まらないぐるぐる)なのだと。

Don Giovanni (Peter Mattei)と従者Leporello (Adam Plachetka)は、どちらもモダンなダークスーツ(タイも、時にコート)を着て主人と秘書 or 運転手、というより同じ顔と態度の「できる」ウォール・ストリートのビジネスマンのような、マフィアのような、映画関係者のような、なんにしても成功した系の顔をもつエリートに見えて、彼らがDonna Anna (Federica Lombardi)を戯れに襲ってレイプしようとして激しく抵抗されると態度を豹変させ、怒り狂った彼女の父The Commendatore (Adam Plachetka)が現れるとピストルであっさり、あっという間に殺してしまう。

続けてDon Giovanniの悪辣さをわかって憎みながらも彼から離れられないElvira (Ana María Martinez)が現れたり、Don Giovanniが次に狙いをつけた純朴なZerlina (Ying Fang)とその夫Masettoとか、Donna Annaの傍にいる恋人のDon Ottavio (Ben Bliss)がいたり、彼らの周りを追って隠れてまた追われたりを繰り返し、てめえらいい加減にしろよ、ってみんなに追い詰められるところまでが第一幕。

第二幕に入ると、Don Giovanniがおれは姿がばれててやばいから服装を替えようぜって、Leporelloのと上着だけ交換して、そこまでして懲りずに女漁りをしているとThe Commendatoreの亡霊が出てきたり、いよいよIvo van Hove的な止まらずにどこまでも上書きされていく欺瞞と誤認と嘘と、それらそれぞれに執拗に絡まって解けない欲だの情念だのがあちこちから湧きだして止まず、誰が誰やら仮面をした全員がその沼に嵌っていって抜けられない。これらがオペラ的にわかりやすいピークやドラマチックな破滅に向かう、というよりは気が付けばそうだったし、みんな知っていた(はずだ)し、世界の初めからあるみんな地獄 - 愛なんてどこにもない、食欲と性欲しかないあれだろ、という状態が晒されておわる。

ここでのDon Giovanniは服装こそまともだし傍らには秘書のようなLeporelloもいるので、彼らが女性に寄っていっても一見変には見えないのだが、でも実際には反省を知らないただの変態の性的虐待者で、自分はどんなことをしたってその責任から逃れられると思い込んでいる ← というだけで十分に異常者なのだが、どれだけ女性に酷いことをしてもそれが許される場のようなものも確かにあって(いまのこの国ね)、そんなんで1000人以上の女性とやってきた、どうだ! っていうのを今の舞台で言われても(たまに飲み会でいるけどさそういうじじい)とっととくたばれ、しかないのだがー。

というのを、例えばストレートな演劇でやると重すぎてぐったりになってしまいそうなところ、すでに決められた伴奏と歌がある、というだけで過去から積み重ねられた定型とのギャップとか、そのギャップも込みでああそこをそんなふうに見せたりごまかしたりするのか、などど楽しめてしまう、というのがオペラ化の見るべきところなのかしら。

実際に歌とオーケストレーションに込められた熱は十分に伝わって、最後にみんな大喝采していたのはようくわかった。けど、このセットと衣装ならヘヴィメタルやインダストリアル系でもはまって十分かっこよくなったかも。

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