7.05.2023

[film] The Power of Kangwon Province (1998)

6月24日、土曜日の夕方、菊川のStrangerのホン・サンス特集で見ました。
邦題は『カンウォンドのチカラ』、原題は”강원도의 힘”。 カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されたホン・サンスの長編第2作。

『正しい日 間違えた日』とはまったく異なるかたちの、2パートからなる。『正しい日 間違えた日』が“Now”と”Then”のサンドイッチだったのに対して、ある避暑地を中心に綿あめをぐるぐると巻いていくようなー。

女子大生ジスク(Oh Yun-hong)が夜行の電車に乗って江原道(カンウォンド)に旅行に出かける。車内は混んでいて立っている脇をイカとかビールを売る車内販売が通る。着いたとこは海が見えて天気はきらきらで、友達ふたりも夏の休暇に向かってのびのびしていそうなのだがジスクはなんかもやもやして簡単にキレたりしてしまったり。暇そうで人のよい警察官と知り合って、いろいろ案内して貰ったりみんなでお酒を呑んだりして、酔いつぶれたジスクを介抱してくれたり、でもそんな彼には家族がいることを知る。

のだが、戻ったあと、ジスクはひとりでもう一回カンウォンドを訪れて、その警察官の彼を連れまわしたのかどこかに連れていってもらったのか、もうひと晩泊まってもよかったのだが、やっぱり帰るって。電車でも車でもなくバスで、その車内でジスクはわーわー泣いてしまうラスト。なにかが欠けていることに対してというより、自分がそういう状態にあることについて? ジスクの表情はずっとこわばってどこか固まっていて自分の内側の事情とかを一切語ろうとしない。他方で男の方は、いつものホン・サンスのまったく印象に残らない木偶の坊系。例えば ↓

大学講師のサングォン(Baek Jong-hak)は研究室を出ていかなければいけなくなったのか、仕事場をばたばた引っ越そうとしているようで、なのに誰かが運んできた金魚2匹を洗面器にあけて紙で日よけを作ってあげたりしている。

友人からあの人には会いにいった方がいい、と言われた大学関係者のおっさんの家にお酒を持っていっても、彼は相撲中継を見てばかりで話をするつもりがなさそうだし、出してくれたコーヒーのグラスには虫が入っていたりする(だめだこりゃ)。

なんだかぱっとしない彼も友人とふたりでカンウォンドに向かい、その列車の混雑した車両には冒頭のジスクたちがいるのが映るのだが、やはりすれ違って、サングォンは友人に連れられるままに滝壺に行ったり、カラオケに行ったり、その流れで不機嫌な売春婦を呼んで相手をしなきゃならなくなったりするのだが、たぶん自分でもなんでそんなことをしているのかわからなくて、なにやっているんだろ、って。

ジスクが最初のパートで語っていた別れた不倫の相手がサングォンであることはなんとなくわかるのだが、切れて戻らなくなった糸の先の行方について云々するのでも切ったのはどこのなんなのかを追うのでもなく、戻らない~(断固) って放りだされたその状態とかそれぞれが立っている場所とか夏の日差しの角度とかいろんなところに現れる水とか湿度とか、そういうのをひたすら示して、泣きたいのかもしれない叫びたいかもしれないふたりを、そこに放しておく。そこにおいて”The Power of Kangwon Province”なんてありうるわけない、どれだけ酒が入っていっても ”The Powerless ..”にしかならないし。気がつけば金魚は一匹になってしまっているし。

夏のバカンスを撮ったロメールの映画 – 例えば”La Collectionneuse” (1967) -『コレクションする女』あたりのやけくそっぽいけど、まだなにかが出てきそうな、少なくとも退屈が潰れそうなかんじとはまったく異なり、なにもかもが裏目に出る – というか裏目に見せてしまう何かが入りと出を塞いで - やけくそに向かう道すら塞がれてしまうのでされるがままでどうしようもない/どうしてくれよう、っていうど真ん中のつまんなさ。それが夏のバカンスを覆ってしまう。そんなんでよく「避暑地」なんて名乗れたもんだな? 彼らにとって希望も期待もゼロであまりにつまんなすぎて、これからどうするよ? ていうところに、例えば『正しい日 間違えた日』の冒頭のふたりはあったのかもしれないな、とか。

こんなふうに彼らはどこから来たのか、から入ってそれが画面のこちら側の見えない/見せないところも含めてせっかくの避暑地なのにさいてー、のほうに崩れていくドラマがなんだかたまんなくよいの。

『オー!スジョン』(2000) も見たかったのだが、もう終わってしまったようだ。残念ー。

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