7.11.2023

[film] Le Bleu du caftan (2022)

7月2日、日曜日の午後、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。
邦題は『青いカフタンの仕立て屋』、英語題は“The Blue Caftan”。

“Adam” (2019) -『モロッコ、彼女たちの朝』の監督Maryam Touzaniの新作で、カンヌの「ある視点」部門で上映され、前作と同様、モロッコからのオスカー外国語映画賞候補となった。

モロッコのメディナにある小さな仕立て屋が舞台で、登場人物はほぼ3人。前作も街角の小さなパン屋を営む家に外からやってきた人が小さな波風をたてるお話しで、その巻き起こす風の強さというよりも、その力が柔らかく持ちあげて広げてみせてくれたその家や家族のありよう - そこに共にあるかんじが印象に残ったのだが、今作もその辺は少し似ているかも。

仕立て屋のHalim (Saleh Bakri)がいて、黙々と生地を切ったり縫ったり刺繍したりしている彼と訪れるお客を迎えるMina (Lubna Azabal)がいて – そうやってふたりで細々とやってきた店に見習いとして若者のYoussef (Ayoub Missioui)が来て、腕は悪くなさそうだし真面目そうだったので雇うことにして、Halimの指導のもとで一部の手仕事を任せていく。

店には伝統的な民族衣装であるカフタンを結婚式用にオーダーする客も来て、色や刺繍についての注文も細かかったり納期もうるさかったりするのだが、手仕事で時間が掛かるHalimのところにはそこそこの注文も入るのでYoussefのような手があると助かるし、Minaは身体がよくないらしくしんどそうに座り込んだりいらついて声を荒げたりすることもある。

そのうち、ひとりで公衆浴場に通うHalimがそこにいる男性客と目配せして個室に入ったりするところ、Youssefとも仕事の指示や指導をしつつ目を合わせて固まってしまったりするシーンが描かれて、その様子を瘦せていくMinaは肌で感じとっているように見ていたり。 そして見られる側のHalimの方もここに通ったりYoussefに触れたりすることで何かを発散できているようには見えない。ずっと目を伏せたまま自分に何かを問うているような。

予告編では、このあたり(Halimの指向、ふたりの距離と温度)に気付いてしまったMinaが3人の関係に緊張や亀裂をもたらすかのような雰囲気があって、実際にYoussefは途中で出て行ってしまったりもするのだが、映画はどちらかというと徐々に衰弱していくMinaがその事態を受け容れ、その容態をHalimが嘆きつつもやはり受け容れ、それをまたMinaが赦し、そんなふうに織物のように重ねられ織られ仕立てられていく夫婦の姿が中心にある。なかでも特に自分の、夫の、それぞれの事態と運命を戸惑いながらも受けとめて、部屋から限られた時間を見つめようとする彼女を静かに見守る女性映画なのだと思った。とても辛く悲しいけど、見たほうがよい。

前作はパン、その生地の肌理やこんがりにやられたが今回のはどう見たって機械ではできそうにない刺繍や編み紐の絡まりようとそれが乗っかる鮮やかな色合いの生地で、食べ物にはよだれしか出なかったけど、今作のカフタンは着る機会はおそらくないだろうけど、触ってなでなでしたい感がじんわり溢れてくる。どんなにか滑らかなことだろうかー。

今回もおいしそうな丸焼き煮込みふうの料理が出てきたり、公衆浴場のずっと籠った湿気とか、窓の下で中途半端な音量で鳴っていて耳に触ってくるラジカセの音楽とか、そういうのをみんな混ぜて含めたいろんな感覚が撫でたり触ったり覆ったりしてきて、その手触りの探りあったり掴んだりの奥、向こう側の、どうしても届かないところに行ってしまうMinaの肌とその冷たさ、そうなってもそれを柔らかく包もうとする青いカフタンの布がー。

こうなってこうだから悲しい、とか考えるまでもなく、とにかく悲しいくてやりきれない。 その指や掌を重ねたり結んだりすることができないから、って。

Minaが袋で買っていつも食べているみかんは(おそらく)クレメンタイン - Moroccan Clementineというやつで、New Yorkでも季節になると小さな木箱に入って店先に並べられて、最初に食べたときはとてもおいしいのでびっくりした。 大好き。(日本のみかん最高! しか言わないひとには通用しなかったけど…)

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