あれから20年なのでなんか書く。
20年ということでTVからは当時の映像がいっぱい流れてくるのだが、未だに見ることができない。発生当時の日本のメディアの無神経で無責任な報道の仕方は相当あたまに来たものだがそれは20年経っても何ら変わっていない。これらを海の向こうの衝撃映像(&お涙)として扱ってしまうことがどれだけ幼稚で恥ずべき日本(よかった→)すごいを植え付けて醸成してきたか、それが結果的にどれだけこの国を貶めているか、わかってる?
いまから10年前、あれから10年たった地点でどんなことを思ったのかはこのサイトに書いたのだがしかし、あそこから10年も生きることになるとは思ってなかったしまだこんなの書き続けているとは思わなかったし。 でもなんか書こう。
20年たった。というとレコードの世界では、20年前のこの日、この盤がリリースされました、とか知ってがーんもうそんなに、ってショックを受けて楽しんだりするのだが、この日のこの件については、もうそんなに、というよりまだこんなところで、って速い遅いというより、変わらない現実の塊りのままならなさ、みたいなのに苛立ちとか諦めとか無力感とかなんで?が大量に押し寄せてくる。映像を見れないのはこの辺もあるのだろう。
あの日以降、街中の至るところに貼りだされた行方不明の家族や恋人や友人を尋ねる手書きの貼り紙、もうとうにどこかに片付けられてしまったあれらの紙片に書かれていた、どこかに消えてしまった人達は、未だに探し求められている状態のまま、探す人は20年後の姿だったり探される人は20年前の姿だったりしながら、でもみんなどこかにあるはずの会いたい場所で、会ったら話したいこの20年を抱えたままずっと両側でうずくまってきたのだと思う。
WTCが崩れて3日後だったか5日後だったか、地下鉄が動きだしたというので近くに行ってみたの。結構離れたところでもまだ真っ白な埃もうもうで視界はほぼゼロ、石灰の焼けたのに酸がかかったような匂いが襲ってきて、10分で咳が止まらなくなったので帰ったのだが、あのとき、なにをしにいったのか、なにを見ようとしていたのか、20年前の自分に聞いてみたい、そんな20年、でもある。あのときに撮った現像していないフィルムがどこかにあるはずー。
あのテロを受けてブッシュがイラクとアフガンに派兵して、はっきりと世界は変わった。どう変わったのか - バランスが崩れたいう言い方には違和感があるし、発端はあの崩落なのだろうし、でもこれは割とみんなが「報復」措置として侵攻を認めてしまったものの、世界的には認められていないあってはならない異様な「戦争」で、これに巻き込まれたイラクやアフガンの犠牲者やその家族の数を、その怒りと痛みの拡がりを無視してはいけないのだし、先月末の撤退で更に新たな火種を撒いて抱えこんでしまった。はっきりと。
そしていまの足下にはコロナもある。政治家たちはこの局面でも戦いを、戦うことの意義や正当性をいろんな形ですり込んで(or ごまかして)きているけど、ウィルスが教えてくれるように「テロとの戦い」の本当の「敵」はなんだったのか、そういう「敵」は「戦い」によって収束できるものだったのか、ここらで振り返って反省しておかないと苦しみも憎しみもなくならないし、50年経っても行方不明の人たちは還ってこない。
これはアメリカのこと、ではない。すぐ隣(どこでも、どの国でも)で苦しんでいる人たち、明らかに攻撃の矢を向けられて苦しむであろう人たちのこと、彼らの痛みを自分の、自分たちのこととして受けとめて20年間に崩れ落ちたふたつの塔を、掘られた穴を見ること。
それなしだと次の10年を迎える前にみんないなくなるよ。
9.11.2021
[memo] September 11 2021
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