9月5日、日曜日の昼、シネマカリテで見ました。
昨年のヴェネツィアでプレミアされた、作/監督はイタリアのSusanna Nicchiarelli(前作はNicoの評伝映画”Nico, 1988” (2017))- 未見)、撮影はCéline Sciammaの作品で知られるフランスのCrystel Fournierによるイタリア-ベルギー映画。舞台は19世紀末のイギリス。
冒頭、Eleanor Marx (Romola Garai)が偉大なる父のKarl Marxの葬儀で弔辞を述べて、父と亡き母との愛の絆とその歴史が語られる。まだ幼い姉の息子が気になるものの経済的にはFriedrich Engels (John Gordon Sinclair – “Gregory's Girl” (1981)のGregoryだよ… )が父の遺産の管理を通じて援助してくれている。
Eleanorはシェリーを社会運動家として紹介して客席からぶーをくらった劇作家のEdward Aveling (Patrick Kennedy)と仲良くなって、一緒に暮らすようになり、一緒にアメリカに渡って工場の使役の現場を見たりしながら自身の社会思想家/運動家としてのビジョンを固めていく。他方でだんだん明らかになっていくEdwardの浪費癖 – なんも考えずにお金を使いまくる - とか、女性にだらしなかったり – 突然妻だという女性が戸口に現れる – とか、アヘンでらりらりするのが大好きで能天気な快楽主義的な性向が頭にくるようになってきて..
他にもEngelsと家政婦の間の子供だと思っていたのが、そうではなかったことが明らかにされたり、彼女が尊敬する父から受け継いだ社会や労働や家族に対する熱い想いと理想と、彼女の身の回りで展開されていく現実の居心地のわるさ、といった段差がじりじり広がっていって、それは子供の労働を当然のことと思っている支配階級への幻滅だったり、ふたりの関係については最初の方でEleanorとEdwardが余興で演じたイプセンの『人形の家』のノーラとヘルメルの対話 - 父からの抑圧から逃れたと思ったら彼からも同様の抑圧受けていたことに気付くとこ – そのままだったりして、くたびれて嫌っていたアヘンに手を出して、家のなかで怒りをぶちまけた後に服毒自殺してしまう。
評伝ドラマとしては割と平板な可もなく不可もないかんじなのだが、はっきりと理想を掲げて壁にぶちあたった女性の怒りと苛立ちを共産主義とフェミニズムと共にぶちまけるさまを当時の(挫折した)パンクとして描く、というところは今にまっすぐ刺さるテーマでもあるので、そんなに悪くないかも。ラストにどいつもこいつもざっけんじゃねーよ! ってひとり天を仰いで仁王立ちするRomola Garaiさんはすばらしい。それにしても、彼女の周りに寄ってくる男たちってほんとにどいつもこいつも - マルクスだってエンゲルスだって – どうしようもないのでしみじみかわいそうになる。
音楽は”L'Internationale”も含めてアメリカのDowntown Boysがやってて、決して悪くはないのだがしかし、音がみっしりと厚い最近のパンクの音で画面のトーンに合っていない気がして、あーこれなら、The FallとかSlitsとかせめてBikini KillとかせめてHoleとかを適当かつがんがんに流してくれたら、旧左翼のおじいさんなんかも寄ってきたかもしれないのにー、とか。しらんけど。
あとは、やっぱし社会主義運動やサフラジェットに向かっていくアクティビストとしての側面はもうちょっと強調されてもよかったと思うし、折角ヨーロッパ中心とはいえインターナショナルなスタッフを集めたのだから、もうすこしイギリスの外の視点や展開があってもよかったかも - 彼女が翻訳した『人形の家』や『ボヴァリー夫人』、他に南アフリカの作家Olive Schreinerくらいしかその窓はなかったのだろうか。この時代のイギリスにはこれらの腐ったところも含めてぜんぶあったのかもしれないけど。
もう9月も半分て、いいかげんにしないか。
9.13.2021
[film] Miss Marx (2020)
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