9.25.2021

[film] Oasis Knebworth 1996 (2021)

こっちから先に書いておく。 9月23日、木曜日の晩、ヒューマントラスト渋谷で見ました。
ワールドワイドの上映会のようだし、でっかい音でなんか見て聴きたいかも、程度で。

ネブワースの野外で1996年8月10日と11日、2日間に渡って行われたライブの告知からチケット獲得の熱狂からライブ本編まで、OASISが王様だった/になった当時の巨大イベントを追ったドキュメンタリー。

わたしにとってこのバンドはguilty pleasureで、カップ麺とかマクドナルドとかあんず飴とかそういうのと同じで、年一回くらい聴いてそれで十分の人たちで、それでも”Supersonic”のシングルが出た時にはRebel Rebelっていう今はもうないヴィレッジのレコ屋で英国盤を買って聴いた - The Stone Rosesの「アドアド」と同じだと思った。NYでの最初のライブはWetlandsっているハドソン沿いの100人くらいの小屋で特に宣伝もしてなくて、かわいそうなので行ってあげようと思ったのだが、でも当日は用事が入っていけなかった。

1994-95年のBlurとの対決の時も、自分がライブに行ったのはBlurの方だったし、少なくともNYでの彼らは苦戦していた。 初めて見たのも2002年のBeacon Theaterの”Heathen Chemistry”のツアーの時にようやく、チケットも簡単に取れたし欧州や日本での当時の売れ具合からするとぜんぜん、だった。

要するにわりとどうでもいいところにいたバンドなので、これからひどいことを書いてしまうかも。

映画のはじめはチケット争奪の大騒ぎ。 今の子にはわかんないだろうが、昔は朝の発売時間に受話器握りしめてリダイアルボタンを押しまくるか、ぴあのカウンターに夜通し並ぶしかなかった、それで発売の時が訪れると(ぜんぜん繋がらないから)過ぎていく時間と共に擦り減っていくあの感覚が蘇る。 けどこれは映画なのでチケットを獲れたものの歓喜のみが語られる。 関係ないけど、いまのチケットをオンラインで取る仕組み - 発券はコンビニとか - ほんと手続きがバカみたいで呆れるしかないんだけどみんなあれで満足してるの? 格差が広がって金持ちはコネで苦労しないでチケット取れるからどうでもよいの?

で、待ちに待ったライブ当日がきて、ヘリでバンドが飛んできてカウントダウンの後でライブが始まるのだが、ライブフィルムとしてはさいてーだと思った。 フルの音源は別途発売されるのでそちらを買って聴けということなのだろうが、曲の途中で観客の陶酔コメントだのバンド側の思い出だのが入ったり客席側の歓声だので音のバランスがころころ変わるので興醒めする。一曲フルで流せ、とまでは言わないけどなんであんな編集するの? 監督のJake ScottはPVだとR.E.M.の”Everybody Hurts”とか、Radioheadの”Fake Plastic Trees”とか、印象に残るのも沢山撮っているひとなのに。

最後の方で、この頃はSNSもなかったから音楽に没入することができてよかった、とかコメントが入るのだが、この映画そのものがSNS的手法を入れることでライブの興奮を思いっきり削いでいるじゃん、と思って、しかもそのコメントときたらどれもスーパーポジティブなOASIS すごい! この曲グレート! この場にいる自分たちすごい! みたいなのばっかしなので、このバンドのライブってそういうほめ殺しとアルコールでぐいぐいあげて酔っぱらってみんなでバンザイの幸せになる、そういう様式のもんなのだろうな、って。

この頃から顕著になっていったフェスでライブを楽しむ感覚もこんなふうに作られていったのかも。みんなあの夏のどこかで、あのバンドや仲間たちと一緒につくった思い出や歴史や伝説作りに飢えているというか。 べつにいいけどなんか、あーもうほんとに左に寄ったロックなんてとうにしんでるんだわ、って改めて。

ここに流れている圧倒的な全肯定意識や感覚 - しかもそれを叫んで笑っているのはぜんぶ白人 - が当時のYBAsとかトニー・ブレアとかと相まってどんなふうにその後のBrexitへと向かう意識を醸成していったのか or あれとは違う何かなのか、そういうのを書いたのがあったら読んでみたい。ライブイベントとしての盛りあがりが異様に見えてしまう自分がおかしいのかしら - ”Live Forever”でJohn Lennonの肖像に向かって敬礼するシーンなんて吐き気がした。

ちょうどこの頃、大西洋の反対側のアメリカではBeckが出てきて、”I'm a loser, baby, so why don't you kill me?” ってやっていたわけで、そのベクトルのちがい。この映画の最初の方でStock Aitken WatermanあたりのダンスミュージックからHappy MondaysやThe Stone Rosesの方に向いた英国の流れが紹介されていたが、米国ではグランジがあって、そもそもぜんぜん違っていたのよね。

あと字幕がバカすぎ。”OASIS”のバンドのロゴに「オアシス」とか。


こういうのにうんざりした後、今日の夕方に新宿で見た”fOUL”はすばらしいライブフィルムだった。
なぜ音楽はハードで、マイナーで、3ピースで、手癖のように繰り返されなければならないのか、自分でもよく思いながらいまだに言葉にできない何かを砂上の楼閣として組んでは崩してを繰り返していった稀有なバンドの記録。 だから自分はかつてライブに通ったりしていたのだ、ということを思い出させてくれる。 時間のあるひとはぜひ。

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