12.31.2018

[log] 年のおわりに

気がつけば振り向けば1年の最後の日になっていましたどうしよう、と書いて嘆いてあたふたしてみせるけど実はなんにもしない、そういうお約束のいちにちが今年もやってまいりました。

会社の仕事は24日の午前中まであって、25日は電車もバスも動かないので家のなかですることがなくて(.. おかたづけ..?)、死ぬほどつまんないのでLeicester Squareの映画館まで歩いていく、ていうのをやってみた。Mary Poppinsのクリスマスの御利益を期待していったのだが、ほぼまっすぐの道を凍えながら約1時間てけてけ歩いていくだけでなんも起こってくれないのだった。

26日の朝から30日の晩まではイタリアに行ってきた。初めてのイタリア。昨年末のウィーンと同じで、これまで頭の隅っこ奥の方にしかいなかった絵とか建物とかのほんもんを見て、ふうん、てうなる、そういうシリーズで、でもイタリアって広く散らばっているのでどうしよう、と考えて、(続いてほしい)第一弾としてフィレンツェとミラノにした。なんで最初がこのふたつなのか、にあまり深い意味はなくて、例えば「ウフィツィ」って音の響きが昔から気になってしょうがないけどなんだそれ、とかその程度。

30日の夜中に戻ってきたら、31日の0:00amからBBC Oneでは”War of the Worlds” (2005)を放映したりしている。えらいねえ。

細かいあれこれは後で書くかもしれませんが、フィレンツェ2泊 - ミラノ2泊でだいたい25軒くらいの美術館とか名所旧跡とかを見てまわった。 自分のなかの時間感覚からすると絵を見ていくペースは昔と比べると随分遅くなっていて、つまりだらだらつっかえたり戻ったりしながら見ているからだと思うのだが、こういうのとか、現地に行って(コピーではない)ほんもんを見ることの意味とか、絵とか音楽のライブの共時的な快楽に加えてそういうのを行きつ戻りつ考えていくおもしろさに目覚めてしまったかも、って、これ、回数重ねていかないと(たぶん)わかんないことかもしれないしわかんないままかもしれないし普遍化できることでもないと思うけど体が動けるうちに纏められたらいいなー。

年を経てくすんだりさびれたりしていく作品たちと同様にボケたり見えなくなったりしていく自身の視界とか頭はどう向きあっていくことができるのか  - デジタル・アーカイブなんてくそくらえ、ということでがんばる。
ていうのは好きにやってれば、なのだがアーカイブなんてちゃんちゃらおかしいわボケ、ってフィジカルに積もって溜まっていく本とか箱とかをなんとかしないと、ていうかなによりまずは、このなんとかしないと、てのを年末に吐くのではなく年明けに宣言するように自分のあたまを釘ととんかちでどうにかしないとだめよね。

大晦日は(時間があれば)だいたいB級ジャンクホラーみたいのを見ることにしているのだが、夕方に”Bird Box”ていうのを見てきた。 Netflixのだし、客は3人しかいなかったけど、B級どころかものすごいやつでおっかなくて震えた。 音楽はTrent Reznor & Atticus Rossだし。

昨年の今頃はまだロンドンに来て11ヶ月で、本棚みっつ買ってもういっぱい、とかはしゃいでいたようだが今ときたらもうほんとしゃれにならなくて、とにかくレコード会社は40周年とか50周年だからってアナログの箱を乱造乱発するのとか、ふつうの新譜でも180gで2枚組3枚組とかの重くて厚いのを出しまくるのやめてほしい。そういう箱を置けるスペースとあれらをいろんなバージョンとかMono - Stereoとかの差異をくっきり再生してくれる機械設備のないビンボー人は聴くな買うな、ていうのがふつーの感覚なのだろうが、でも買っちゃうわよ。そんな後先考えない無節操さを叩き込んでくれた音たちなんだもの。 なんだもの、じゃなくて買うなよ、てさすがにだんだん思うようになってきて、でもその替わりに古本屋とかに通うようになって、これがまたサイズとかてんでばらばらで困ったやつなのよね。(← もうだめだこいつ)

今いるフラットは2年契約なので次のところに移る(移って、その際におお掃除する)べきかそのまま埋もれていくのか、そろそろ決めて動かないとなー。 時間ないなー。

このタイミングでこんなゴタクを並べているということはつまり、師走のお片づけ、大掃除なんてむり、アボート、あきらめ、退避、てったい、Plan Bなし、てことなのよね、って威張ってるんじゃねえよ。  やるきなし、ってだけだろ。
(だってさー、絵とかいっぱい見て幸せに戻ってきたとこで片付け、しないよねふつう)

2016年の世界はひどかったけど2017年も更にひどくなった、って昨年は書いていたけど、2018年はさらにさらにひどくなっている。 あの国はもうほんとうにどうするんだろ、三権分立のそれぞれの府とお役所とそこにぶらさがっているメディアのぜんぶが揃って腐ってにっぽん最高ばんざいってにたにたしながら思いこんじゃって、そんなのバカが勝手にやってろだけど、あったまくるのはそれで辛かったり苦しい思いをしている人たちがいっぱいいるのに、そういうのをこれぽっちも想像できない - これって教育とかじゃないよね、洗脳されちゃって根から芯から性根が腐ってて自分の腐臭に気づくことすらできないんだよね。 こういうのを世界の人たちがどう見てるかなんて、ほんとにどうでもいいのね。

元号にどういう意味があるのか未だにわかんないし平成が何年までいったのかすらわかっていないのだが、元号変えるのならついでにこいつら全部リセットしてほしい。

でもとにかく、それでもひとは動いて出会うものだから、きっと来年は。たぶん。
なんてことを年の終わりに呟いてどうするのか、とここでも空を仰いで、どこまでも内向きにぶつぶつキーをひっ叩きながら、皆さまよいお年を、来年がすばらしい一年となりますように、と言います。 みんななんとか生き延びることができますようにー。

というモードで、2018年ベストに着手いたします。

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