11月18日、日曜日の昼間、Prince Charles Cinemaで見ました。なんかの映画祭の関連企画で、1回きりの上映。 35mmで。 日本では公開されていないみたい。タイトルは「昨晩」ではなくて「最後の晩」のほう。
最近の子は知らないかもだけど、前世紀の終わりには2000年問題ていうのがあって、更にその少し前にはノストラダムスの予言とかあって、2000年になるときに地球は滅びるよって言われていたことがあって、「どうせみんななくなっちゃうんだから、さ」とか「なくなっちゃうとして最後になにする、なに食べる?」とか、そういうのをムダに考えていた時代 - 村上春樹の大部分てこの辺からきていると思う - があって、ほーんとあの頃のあの時間を返してほしいわ、って思うけど、返してもらったからってどうせろくなことに使わないであろうことはわかっている。くらいの大人にはなった。
カナダの俳優のDon McKellarが自分で書いて主演して監督した自主製作ぽいかんじの – そういう事情によるのかカナダの映画人たち - Sarah PolleyとかDavid Cronenbergが出演している。でもとにかく映画そのものはすばらしくよかった。
深夜の12時がくると世界が隅から隅までぜんぶ、完全に終わってしまう – そういうことになっていてもうどうすることもできないらしい – その当日の昼から、トロントの街中はお祭りしていたりやけのどんちゃん騒ぎしたり泥棒や暴行もやりたい放題が横行していて、その中にあって横一線で最後を迎えようとしているいろんな人達の動きを追っていく。
妻に先立たれて独り身でどんよりしているPatrick (Don McKellar)は、一応実家に行ってクリスマスとサンクスギビングが一緒になったような家族そろって(姉にSarah Polleyとか)のお食事の会をするのだが最後の瞬間はひとりで過ごしたいから、って自分のとこに戻ろうとする。
Sandra (Sandra Oh)は車で移動中に買い物をしようと車を止めたら車を勝手に移動されて壊されて、夫と連絡とりたいのにどうしよう、て泣いて往生しているときに戻る途中のPatrickと出会って、Patrickは一緒に夫を探してあげることにする。
Patrickの友達のCraig (Callum Keith Rennie)は朝からセックスマラソンをしてて、これまでやったことがないようなのを、と別の人種のひととか高校の時のフランス語の先生とかヴァージンとか次々に自分のアパートに呼んで懸命にがんばっていて、そこにPatrickとSandraがきて彼がコレクションしている車をくれ(どうせいらないだろ)、という。(CraigはついでにPatrickともやってみたい、と提案するが拒否される)
ガス会社に勤務するSandraの夫のDuncan (David Cronenberg) は顧客名簿の上から順に線を引きながら暖房のためのガスは最後まで供給しますから、って律義に一軒一軒電話をしていって、それが終わって帰る途中に殺されてしまう。Duncanと心中するつもりだったSandraは悲しむのだが、Patrickがぼくでよければ、って申し出たのでふたりは銃を手にして –
他にもいろんな人が出てきて、それぞれに焦ったり騒いだり嘆き悲しんだりべったりくっついたり、その描き方、距離がとても丁寧なのでそこがかえって都市の終末感 – ああ世界は終わっちゃうんだねえ、を膨らませていて、いいの。もう会うのはこれで最後になるであろういろんな人たち、のようにカメラが登場人物たちを見つめて、登場人物たちも見返してくる。
俳優さんはみな素敵なのだが、監督が彼女を想定して書いたというSandra Ohがすばらしくて、もしラストで彼女とDuncanが出会うことができていたら - Sandra OhとDavid Cronenbergがどう絡んだのか、は見てみたかったかも。
もちろん映画は0:00 – 世界の最後の瞬間(のほんの少し手前)でおわるのだが、誰もがその瞬間、自分はどこにいて誰となにをするだろうか、どうやって終わりたいだろうか、って考えると思う。キスをして終わるのか、殺しあって終わるのか、どっちにしても息を止めて。 そんなことを考えさせるように内側に刺さってくるので、よい映画だわ、って。
最後には本を読むべきか音楽を聴くべきか、映画.. はちがうかな、とか。あるいは最後に読む本、聴くレコード、見る映画は、食べ物は、とかのリストは。
そして気がつけば2018ベストがちょこちょこ発表されだしていて、2018年の世界は終わろうとしているのだった。
12.05.2018
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