7月31日、火曜日の晩、Curzon Bloomsbury内のドキュメンタリー小屋で見ました。
主に30年代の英国の庶民や街の風景を捕えた写真家としてNational Galleryにも展示がある Edith Tudor-Hartは、ソビエトのスパイでもあり、歴史に残る2重スパイとして知られるKim Philbyをソビエトに紹介したりもしていた – って本当なのか、と彼女の甥っこでもあるPeter Stephan Jungkが追っていくドキュメンタリー。
こないだの”Bombshell: The Hedy Lamarr Story” (2017) ほどのびっくりはないものの、事情によってふたつの顔を維持していた女性アーティスト(彼女もウィーン出身だ)がなにを見て、追求していたのか、そのなぜ?を知る、という点でこの2本は近いところがあるかも。
1908年にウィーンのユダヤ人コミュニティに生まれた彼女はバウハウスで写真を学んで、幼稚園の先生をした後、医師との結婚を機にロンドンに渡り(なのでナチスの迫害からは逃れた)、そこで貧困のなかにある人々やスペイン市民戦争の難民の写真を撮ったりしているうちに共産主義の方に傾いていって、ウィーンで知り合っていたArnold Deutsch - 彼が直接Kim Philbyをスカウトしたとされる – の手引きでロンドンでLitzi Friedmann – Philbyの最初の妻 – と出会って.. などなど。
対象が対象なので証拠として確認できそうな資料はあまり残っていなくて、ロシアまで行ってみてもアーカイブを見せて貰えなくて(まあそうよね)、なので部分部分はアニメーションで補足したりしている。 人物の相関関係とか時間の経過はそうなのね、くらいしか言いようがなくて、でもやはり見て考えてしまうのは、カメラのファインダーを覗いてそこから世界を見る、という写真家の営為と、限られた視野やソースのなかで諜報活動をするスパイの営為は彼女のなかのどこでどんなふうに繋がっていったのだろうな、ということ。 彼女のなかではそれなりに一貫した行為だったのではないかしら、と。
スパイというのは国を裏切って国益を損わせるという(その国からすれば)犯罪行為なわけだが、その国の掲げる理想が自分の信じるところと違うとか、自分が今見ている風景とあまりに違うとかいうとき、ひとは怒ったり失望したり沈黙したり自殺したり政治活動したり革命に向かったり… スパイというかたちで現れる活動もこの線で、30年代の英国がどんなだったか、彼女やBill Brandtの写真くらいでしか見ることはできないのだが、例えばCambridge Spy Ringというのは、あれらの風景のなかから集団意識のようなかたちで立ちあがったなにか、ていうのはありそうだし、所謂「アートと政治」について考えてみるよいネタだと思った。 いまだにアートの文脈で政治のことを語ってほしくないとかわけわかんないことを言っているガキ共には必須にしたい。
Edith Tudor-Hartの写真はたとえば以下で見ることができる。
https://www.nationalgalleries.org/art-and-artists/artists/edith-tudor-hart
http://spitalfieldslife.com/2017/08/03/edith-tudor-hart-photographer/
8.15.2018
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