7月30日、月曜日の晩、CurzonのBloomsburyで見ました。Paul Schraderの新作。
NY州の外れにあるFirst Reformed Churchの牧師Ernst Toller (Ethan Hawke)は何か思うところがあるのか、ノートに手書きの日記を書き始めて、1年後にはこれを破棄する、と宣言している。
彼は牧師として軍に従軍していたこともあって、でも彼の勧めでイラクに行った息子は亡くなって、今はひとりで苦しんで頻繁に酒を飲んでいて体調もよくないらしい。
ある日、礼拝に来た身重のMary (Amanda Seyfried)から、旦那のMichael (Philip Ettinger)の様子が変なので話しを聞いてやってほしいと請われたので会ってみると、環境活動家(ラディカルなほう)である彼は最近の気候変動のあれこれに絶望していて、もう地球はもたないと思うのでMaryには中絶したほうがいい、と言ったりしているのだと。 また話をしよう、ととりあえず帰したのだが暫くするとMaryが家のガレージでこんなのを見つけた、と起爆装置の付いたベスト - 自爆テロ用の - を持ってくる。とにかく話をしよう、とMichaelに連絡して、面会に指定された公園に行ってみるとそこには自分で頭を撃ち抜いた後の彼の体が転がっていた..
Michaelの遺志の通り、汚染された湖の畔でコーラス隊がNeil Youngの”Who's Gonna Stand Up”を歌う、という寒々しい葬儀をして、彼の遺品(含ベスト)を引取り、彼のPCに遺されたものを見たりしていると、Tollerにもいまの地球環境はこんなにもやばいのか、というのが伝染してくる。
ていうのに並行して地元の偉い人達が出席する教会のアニバーサリーの準備が進行していて、そこのスポンサーである地元の企業家の工場主に環境汚染の話をしてみると、なに言ってんだおめーは、みたいな勢いで乱暴に一蹴されてしまう。
PCからMichaelの思考を辿っていくのと、イベントの準備でいろいろ頭を下げたりしているのと、日々悪化していく自身の体調(医者からは癌の疑いがあるので検査を、と言われる)と、そしてこれらを全部たったひとりで引き受けてこなしているTollerのなかである考えが持ちあがってくる。
イベントの直前、TollerはMaryにとにかくイベント会場には来ないように、と強くお願いするのだが、その当日がきて…
監督自身もどこかで言っていた気がするが、これはブレッソンの『田舎司祭の日記』(1951)、あるいはその原作のジョルジュ・ベルナノスの小説を現代のアメリカの(やや)田舎に適用したらどんなふうになるか、を試行したもの、なのかも知れないし、更にはタイトルであるFirst Reformed Churchの成り立ちや教義も踏まえると見えてくるものもあるのだろうが、そういうのなしでも十分にのめりこむことができる。
特に後半の、事件が起こったり何かが始まっているわけでもないのに画面全体を覆う刻一刻の不穏さと緊張感はなんなのか、Tollerの立ち姿、歩き方、口調、メモ書き、それくらいなのに、それがMichaelの背中を押していた畏れや絶望と同調して殆どホラーの切迫感でもって見ることを強要してくるような。
とにかくEthan Hawkeがとてつもない、と言おう。最後に現れる奇跡みたいななにかは、Before Trilogyのラストの一瞬に彼が見せてくれる曲芸のようななにか、に近いのかも。あそこでの饒舌さとは180度異なる寡黙さ硬さでもって、それが、それだけあればひとは生きていけるのだ、というのを表出させてみせる。 それって簡単にできることではないと思う。
8.15.2018
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