7月19日、木曜日の晩、BFIのMarco Bellocchio特集で見ました。英語題は”The Nanny”。 原作はピランデルロの短編だという(未読)。 これ、めちゃくちゃおもしろかった。
20世紀の初め、イタリアの田舎で裕福な精神科医のProf. Mori (Fabrizio Bentivoglio)は患者に共同生活をさせる型の療養院(?患者は女性ばかり)のようなのをやっていて、妻のVittoria (Valeria Bruni Tedeschi)は身重で、お産でひどく苦しんだ後になんとか産むことはできたのだが、その後で赤ん坊がお乳を呑んでくれなくなった、とやつれた顔でいう。
夫は乳母を探すべく村にでて、お乳が出る女性(とその乳) - “wet nurse”ていうのね - を全員横に並べて、以前街角で見かけた気がしたAnnetta (Maya Sansa)を指名する。今彼女が育てている彼女の赤ん坊の養育は諦めてこちらに来て貰うことになるがいいか、という条件で、彼女がいいと言ったのでAnnettaはMori邸に住みこみの乳母としてやってくる。
Prof. Moriは静かで患者の痛みとかを全く理解しないようなタイプの医者で、Annettaは無口で表情もあまり変えなくて、夫は政治活動で投獄されていて、夫は獄中から手紙を寄越すけれども彼女は読み書きができなくて、ある日彼女はProf. Moriに授乳の空いた時間に読み書きを教えてほしい、と懇願する。
映画は自分と赤ん坊の間に乳母を迎えることになったVittoriaと周囲の微妙な緊張とか、Prof. Moriの病院で過ごすいろんな患者たちの様子とか、デモや暴動で騒がしくなっていく村の様子などなどを追いながら、Prof. Moriに読み書きを習い始めたAnnettaとそれをきっかけにだんだん親密になっていくふたりの日々を追っていく。
裕福な階級のお金持ちだから許される乳母を持つこと、そこに雇われてそこ(権力者)の赤ん坊にミルクを与えて育てること、その外ではそういったことも睨んだ未来に向けての闘争や暴動が繰り広げられていたり、若い医者と患者がいつの間にか恋に落ちていたり、邸宅と病院、村の間でいろいろ起こりそうな空気があるのだが、Prof. Moriに読み書きを教えて貰ってたどたどしく文字を書き始めたAnnettaはとても嬉しそうで、外部との境界線上で緊張感を孕みつつもその内側でふわふわと育ったり温められたりしているなにか – なまもの - がある、というおもしろさ、スリル、滑稽さ(?)。
その柔らかな緊張を野蛮な革命や暴動が切り裂くのでもなく、不機嫌なVittoriaや患者たちがぶち壊してしまうのでもなく、その境界を感知しない内側で何かがゆっくりと動めいて育っていく、そのよく見えない不穏な動きとか気配のぞくぞくとかぞわぞわ – 狂った向こう側のひとにしか感知できない、でもまだぎりぎり狂気には至らない - にこそ何かがあるんだから、って、これピランデルロの世界だよねえ。
切り取られた画面がどれも絵画のように美しくて、赤ん坊を抱いてりゃ聖母なんとかになっちゃうのかよ、とか最初は思っていたのだが、ただ単に町中とか通りとか部屋の調度とか、あと中心にいる3人の顔とか、がみんな古典の、クラシックの光と影を持っているのだった。だからなんだよ? なんだけどイタリアとしか言いようがない美があるねえ、って。
『カオス・シチリア物語』(1984) - もう一回みたくなった。
8.04.2018
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