7.19.2013

[film] Pacific Rim (2013)

ロンドンはとっても暑くて、どういうもんかはしらんが、Level 3 Heat Warningていうのが出ていて、今朝もニュースでわあわあ言ってた。
ホテルに入ったのが18時くらい、そこからお食事に出て(集団行動だってする)、ホテルに戻ったのが20:30頃、ひょっとしてこの時間ならと思って、ネットでチケットあることを確認して取って、地下鉄にびゅーんて走って、20:50にはシアターについて、21:10の回のをみました。

英国いちの規模を誇るBFIのIMAX、ここはほんとうに音がすばらしくばりばりで、画面もでっかくて、もりあがる。 

日本でももうじきかかるやつであるが、だって見たかったんだもの。

海の底から現れるようになったKaijuとそれをやっつけるべく人類が開発したロボット - Jaeger達との果てなき死闘を描く。
Jaegerはコクピット内で、二人一組の人間が脳神経繋いで自分達の動作をシュミレートして操作する。 (バロム1+ジャンボーグAね)

二人一組だからそこに二人の関係とか相性とか家族とか過去の記憶とか自己犠牲とかいろいろ入ってくるのだが、Kaijyuはそんなの知ったこっちゃなくて、ばうばうがうがう襲って壊しにくるばかり。 疎通不可、という点ではエイリアンとかゾンビとかと同じかもしれないが、破壊のスケールがぜんぜん違っていて、それ故に宣伝文句にあるように "To fight monsters we created monsters" となって、敵としてのKaijyuと対抗兵器としてのJaegarのふたつのMonsterと渡りあわねばならない人類の大変さ、みたいのが前面に出てくる。 こういう、敵でもなく味方でもなく、それ自体が危険物にもなりうる、危険物を抱えこんでしまった異物としての人類(これを裏替えして、じゃあ怪獣、怪物って?)、というあたりは、Guillermo del Toroの基調にあるテーマだと思うのだが、どうか。

こういうKaijyuモノにありがちの、未来を託する子供、という視点は潔いくらいないし、憧れの対象となりうるようなヒーローも出てこない。 これ見て自分もJaegarに乗って戦いたい!ていうひとはあまりいないだろう(運転したい、はあるか)。 かわりに、怪しげな畸人(Ron Perlman!)とか博士とかが裏で暗躍するところとか、なんかよい。
あってもよかったかなー、と思うのは土地の伝承とか呪いとか起源とか、そういう伝奇系の要素かなあ。 "The Strain"のシリーズにあった東欧のような。

いろんなおたくの人たちがわーわー言うだろうし、Guillermo del Toroのことも(勝手に仲間だと思って)わーわー言うだろうけど、そういうのから離れて、わたしは断固支持したい。
昭和ノスタルジアに訴えるCMの中とか、これならお父さんも一緒に見れるとか、なめてんのか、としか言いようのない状況のなかでしょぼくカバーされるか縮小再生産するかしかできなくなってしまった怪獣特撮モノをハリウッドメジャーが渾身の力でぶちまけてみると、ここまでのものが作れる。 怪獣もロボットも、どちらの映像も夢みたいだ。

これの後に"Transformers"とかみると、建てつけとかちゃちだよなあ、と思ってしまうにちがいない。まあ、Michael BayとGuillermo del Toroを一緒にするなよ、ではあるのだが。 ただ、ハリウッド版の"Godzilla" (1998)がすごく微妙だったこともあるので、題材・素材ではなく、やっぱり作るひとなのかなあ、とか。

ひとつだけ難をいえば、画面中の情報量がすごすぎて、いろんなものががちゃがちゃ動きすぎるので、戦闘のとことかなにがどうなっているのかわかんない箇所がいっぱいある。IMAXの3Dだったりすると特に。 実際にそうなっちゃうんだろうなー、というのはわかるもののそこまで精根つめなくても、というのはおもったかも。

観客は最後のとこではみんなわーわー拍手するくらい盛りあがっていて、そんな彼らが一番どっと笑ったのが 「ジプシーはアナログだからだいじょうぶ」 のとこだった。

芦田愛菜さんはさすが、ブルドックとおなじくらいすてきだった。
もうひとりの日本人とその日本語は、もうちょっとだけなんとかしてほしかったかも。

エンドタイトルで捧げられた二人の名前を見ると、やっぱし、あぁ...と思いました。


そして、それでも、今のロンドン中の映画看板はほぼあの作品で埋めつくされていたのだった…

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