7.01.2013

[film] 祇園の姉妹 (1936) / 祇園囃子 (1953)

もう結構前になってしまいますが、シネマヴェーラの溝口健二特集で見たやつ。
5/25だった。 祇園の2本だて。豪華。

『祇園の姉妹』(1936)

祇園の花街に働く姉妹 - 情に厚くて真面目な姉が梅吉(梅村蓉子)、ちゃきちゃきクールな妹がおもちゃ(山田五十鈴) - がいて、姉は潰れた木綿問屋の大旦那の世話をしてやったり、妹に言い寄ってくる小僧がいたり、しょーもない男が周りにうじゃうじゃ溢れて寄ってきて、でも結局は男共にやられてしまっておもちゃの「ほんまこんなもん、なかったらええんや!」という怒りと嘆きが響きわたるの。

これ、まちがいなく30年代に生まれたガーリーパンクムーヴィーなんだよ。 おもちゃ、っていう名前からしてそうでしょ。

これを最初に見たのは2003年、NYのJapan Societyで、上映前に紹介したのはSusan Sontagさんだった。 格子状の祇園の小路をすたすた駆け抜けていくおもちゃがどんなに生きていてすばらしいかを静かに、しかし熱く語っていた。 あれは、1917年生まれと1933年生まれの女の子ふたりにやられた晩だったなあ。


『祇園囃子』(1953)

祇園で働く芸妓・美代春(木暮実千代)のところに、母を亡くした栄子(若尾文子)が舞妓になりたいとやってきて、美代春はそれを引き受けて、栄子は芸妓デビューしたらいきなり自動車会社の専務(河津清三郎)に見初められ、美代春は美代春で自動車屋の契約のため役所の課長を落とすのに色彩方面で協力するように迫られてて、ふたり東京に呼ばれたと思ったらそれが罠で、栄子は専務の舌を噛みちぎって大騒ぎになって二人は商売から干されてしまうの。 他にも金をせびりにくる栄子のダメ父(進藤英太郎)とか、二人の「おかあはん」(浪花千栄子)の陰険な鞭とかいろいろあって、「祇園の姉妹」と同様、二人の生きる道はぜんぜん楽じゃなくて、結局すべてを解決したのは美代春の体を張った「接待」だった。 で、それでも、それ故に美代春と栄子の絆は堅くなって、世界の平安は保たれるのだった。

外国人が「ゲーシャ」といって喜ぶ祇園なんて、こんなふうなパワハラにセクハラ、世のあらゆるハラスメントの緩衝地帯として何百年も機能して、腐れた男社会に奉仕してきたんだわかってんのかおら、だった。

けど、木暮実千代のしっとりした濃厚さとか若尾文子の瑞々しさとか、これらって今の映画では見ることができない質のものだよねえ。 で、こないだ60年後の栄子の本物を見たのって信じられない、えらくすごいことなのかも、と思った。


それからこれは、6/2の日曜日に見たやつ。

『近松物語』(1954)

これも何回見てもきつくて、かわいそうなお話し。 祇園もの2本が古くからのしきたり縛りであるのに対し、こっちはコンプライアンス案件。 逃げても逃げても追ってくる。

お金を都合してくれないと家がつぶれると身内に言われた妻が大旦那である夫には言えずに職人の茂兵衛に頼んで、彼はなんとか致します、て言って裏処理しようとするのだが、いろんなことのかけ違いが転がって膨らんでふたりは家にいられなくなって、家からもお上からも実家からも追われて疎まれる身となる。
今ならコンプライアンス委員会みたいなところに報告すればいっぱつなのに、こればっかりはどうしようもない。 

その辛さときつさがベースにあるのだが、ポイントはここにはなくて、このがんじがらめの縛りがあるところを境に怒涛の恋愛に変態してしまう驚異と、それをもってしても超えられない現実の壁の非情さ、それでもふたりは、我々には知りえないどこかの高みにいったんだよね、たぶん。  という、そういう段々の仕掛けというかからくりが明らかにされる人形劇で、どっちにしたって現世に救いなんてないんだ。 かわいそうに-。

ひとつだけ、どうしても気になってしょうがないのは、逃避行に出たふたりがその道行きの最初のほうで泊まった宿屋の部屋に置いてある丸いうさぎみたいな置物なの。 あれがほしくてしょうがない。

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