1.22.2013

[film] 打擂台 (2010)

見る時間も書く時間もぜんぜんないようー。

11日の金曜日の晩に、六本木に逃げこんで見ました。

『燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘』。英語題は"Gallants"。

不動産屋に勤めるひょろひょろのダメ社員が、田舎の村に取りたてのために派遣されて、不良とのいざこざに巻き込まれたところで片足を引き摺る老人(ソン)に救われる。彼についていくとそこはお茶屋で、その土地の権利を巡ってさっきの悪党連中が嫌がらせに来たりしてて、もうひとり強い老人(セン)がいて、彼ら二人は昏睡状態の老人 - どうも彼らの師匠らしい - をずっと介護していて、その師匠が悪党の夜討ちで30年の眠りから醒めてしまう。 でも目覚めた師匠はずっとそばにいてくれた弟子とか幼馴染をそれと認識せず、ダメ社員の若者を弟子と思いこんで悪党一味主催の格闘技大会に向けて猛特訓を開始するの。

カンフーものに御馴染みのフォーミュラがひと通り揃っていて、寂れてしまった道場があって、古くからの絆や因縁や伝説があって、弱いもの、強いもの、ずるいものがいて、弱いものは貧しいが鍛錬すれば強くなれたり復活したりできて、ずるいものをやっつけることもできるのだが、格闘は痛いのは痛いしきついし、楽ではないの。
そして、なんといっても目覚める、復活する、ということ。師匠の昏睡状態からの目覚め、弟子二人の復活、若者の目覚めも。

目覚め、がやはりひとつのテーマとしてあった「カンフー・ハッスル」のカエルおじさんがソンさんの役で、ほとんどひとりでがんばっている。

これまでにない要素、それは主人公達の老い、昔のように体の自由が利かず勢いも出ない、その厳しさと、でも30年眠り続けていた師匠にはそれが解っていないので容赦がない、という二重の縛りと痛みがある、という。 それでも歯を食いしばって立ち上がるじじい達、というところがせつなくて泣けるのかしら。

でも、これだけいろいろあるのに、あと少しなんかが、なの。
格闘のところはよいのだが(画面がぎざぎざしたりアニメみたいな効果が入ったり、はいらないけど)、老師匠はほんの少ししか戦わないし、結局決着はどっちにどうなったのか、あの若者はあのままでいいのか、とか、四角い顔のお婆さんは、あの娘っこはだれ? などなど周りに謎の人たちがいっぱいいるし、最後はあんなみんな団欒でよいのか、とか。

目覚めたばかりの混濁した記憶、老いと共に捨てられてしまった記憶、すべてがぼんやりと、誰が誰やらわからないなか、それでも彼らは訓練を重ねて歯をくいしばって立ちあがるしかない。 そこは道場で、彼らは格闘に身を捧げたのだから、とそう思ってしまえばよいのだろうか。

あひるのエピソードはよかったけどなー。
 

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