2.06.2012

[film] 鳥の歌 (2009)

日曜日にみた2本。
日仏のカプリッチ・フィルムズ特集。 なんかようわからんが、なんとなく。

ほんとは渋谷でイオセリアーニを1本見てから日仏に行こうと思ったのだが、直前に時間が合わないことがわかり、しょうがないので日仏で2本、にした。 カタルーニャのAlbert Serra監督作品を続けて2本。

カタルーニャの映画って、むかしLincoln Centerで特集をやったときに数本見たけど、すごく変で面白かったの。

1本目が『騎士の名誉』(2006)。 "Honor de Cavalleria"

カタルーニャ語ベース、フランス語字幕、というのを着いてから知った。
ただ、配られた紙を見て、そんなに言葉で/が、どうこうするような作品でもないように見えたので、そのまま見る。

ドン・キホーテとサンチョ・パンサのお話、登場するのもほぼこのふたりだけ。

森とか原っぱで騎士としての、従者としてのお仕事(それってなに?)をこなしていくふたり。 
鎧を着て、カタルーニャの野を歩き、夜は森で野宿して、訓練みたいのをやったりする。
ドン・キホーテのおじいさんは、たまに訓告とか使命とかそういうのをがーがーがなる、サンチョは黙って聞いている。
そういうのが延々続く。 原作にあったような奇想天外な活躍とか勇ましい法螺話みたいのは一切ない。
二人はほとんど笑わないし、会話は会話にならないまま「...」がずっと。

一度どこかから人がきてドン・キホーテをどこかに連れていったりもするが、やがて戻ってくる。
ふたりが動いたからといって、世界がどう変わるものでもない。
ふたりは大抵空を見上げているか、突っ伏しているか、ひとところで動けなくてじっとしている。
それでもふたりは騎士と従者で、そういう役割を与えられた状態で、空の下に、地面の上にいるの。

彼らがカタルーニャの大地ではなく、アメリカにいたら、ずっとTVみてチキン食べてポテト食べて、ぶくぶくになっているとおもう。 (そういう置換ができてしまうような佇まいと画面の遠近)

こんなような存在の不条理(と言ってよいのかな)をドン・キホーテとサンチョ・パンサの物語として、ぜんぜん動かない物語として画面に置いたとこが画期的なんだとおもった。 

夜、原っぱに座るふたりの上を赤い月がゆっくり昇っていくとこ(画面はまったく動かない)とか、すんごくよいの。  音楽はぜんぜんなくて、一瞬だけ、ギターが響くとこがある。

(館内の)まわりの寝息のがうるさかったかも。


続いて2009年の『鳥の歌』。 "El cant dels ocells"

同じ監督による「騎士の名誉」に続く長編第二弾。 こんどは英語字幕。 モノクロ。
これはすんごくよかった。 今年最初の衝撃だったかも。 でも、どう衝撃だったのかを示すのは難しい。

絵画にもよく出てくる三賢人がキリストを探して地の果てを旅するさまを描く。
「騎士の名誉」でドン・キホーテとサンチョ・パンサをやっていたふたりが、そのまま賢人2/3にスライドしている。
3人は野を越え山を越え、海を渡り、へろへろのぼろぼろになりながら(たぶん)キリストを探している。

この3人の疲労困憊具合が、わるいけどめちゃくちゃ笑える。
3人のうちふたり(ドン・キホーテを演じた老人以外)は、典型的な近代デブ体型で、苦行難行を続けながら旅をするイメージに全く合っていない。
南極を渡っていくペンギンみたいによろよろしたり、固まって野宿して重なり合って動けなくなるとことか、唖然とするほどおかしい。

3人の影が地平線の方までずうーっと歩いていって、一旦3人の点が地平線の彼方に消えた、と思ったらもう一回ふわんと線上に浮かんでよたよたこっちのほうに戻ってくる、というのを1ショットで、とか。

3人の会話も賢人のそれとはとても思えなくて、あそこまで行くのは大変かなあ ~ 水がでるかも ~ でも凍ってたらどう? ~ 大変だねえ ~ どうする? 行くの? みたいな会話をえんえんやってるの。 ベケットみたいに。 漫才みたいに。

中盤でヨゼフとマリアとパンダ目のヤギとまだ赤んぼのジーザスの住んでいる岩の庵に画面が切り替わる。 彼らもぼーっと日向ぼっこしながらヤギをなでたりしているだけで、崇高さみたいなとこからはほど遠い。

そうしているとこにへろへろの三賢人がやってきて、倒れてひれ伏して、音楽がじゃーん、て鳴る。 (でもぜんぜん感動的じゃない)

で、ジーザスに謁見した3人は再び旅に戻る。 ひとりのじいさんは殆ど死にそうだが、旅は続く。
天使がいて、木の上に停まっている。 でも天使もなにもしない。 鳥とおなじく、そこにいるだけ。

モノクロのフィルムにじわじわと傷をつけるかのように続けられる3人の旅。 
(Philippe Garrel が絶賛した、といのはなんかわかる)
その動機も目的も一切告げられることはないし、そこに一切の感傷も、苦悶も歓喜もない。
ただただ彼らは地面の上を歩いていく。 ペンギンみたいに。

そこのところで、カタルーニャの大地は、3賢人の物語は、『サウダーヂ』の世界とどこか繋がっているように思えた。

聖なるものに身を捧げた連中の変てこでほのぼのおかしい挙動を描く、という点ではロッセリーニの『神の道化師、フランチェスコ』(1950) に似ていないこともない、でもあっちよか激しくおかしい。

もうじきできるという3作目は吸血鬼がでてきて、ファスビンダーみたいなんだという。 
みたいー。

上映後のトークは、なんか疲れたのでパスして帰りました。

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