11.24.2023

[film] A Portuguesa (2018)

11月18日、土曜日の午後、”TERRA”に続けてTAMA映画祭のポルトガル特集で見ました。
Rita Azevedo Gomesの監督作を続けて2本。 まずは『ポルトガルの女』。

彼女の監督作は2020年のロックダウンの時にこれを含めて何本か - “Fragil como o mundo” (2002) - “Fragile as the World”, ”A Vingança de Uma Mulher” (2012) - “A Woman's Revenge”, “Correspondências” (2016) - を見て、なかでも“Fragil como o mundo”はあまりの美しさに痺れて、何度か見た。この”A Portuguesa”もなんだこれは、って2回くらい見た。

原作はRobert Musilの短編『三人の女』(1924)からの一編 - “Die Portugiesin”をAgustina Bessa-LuísとRita Azevedo Gomesが脚色。とんでもなく美しい撮影はAcácio de Almeida。

冒頭、廃墟にひとり佇むIngrid Cavenが琵琶法師みたいに歌を披露して、節目節目で俯いたり崩れるように座ったりしながら悲歌とか哀歌のようなのを歌う。

ポルトガルの女(Clara Riedenstein)はポルトガルから北イタリアの小さな城主(Marcello Urgeghe)のところに嫁いできた公爵夫人なのだが、結婚して少し一緒に過ごしただけで夫は戦争に行くのだ行かねば、長くなりそうだから君はポルトガルに帰っていた方がいいよ、と言われて、でもここに残りますって。

こうして古城で読書し、歌を唄い、踊り、馬に乗り、川で泳ぎ、森を散歩して過ごす若い公爵夫人の姿が描かれ、そのうち子供が生まれて大きくなっても彼女はお付きの人々を除けばずっとひとりで、ようやく戦場から戻ってきた夫は負傷して生死の境を彷徨っては立ち直りを繰り返し、死んじゃえ、くらいのことを思うのだがしぶとくて、やがて。

そんな戦時における夫婦間や子供を含めたお家のとめどないぐさぐさを描く歴史劇、コスチューム・ドラマ、というより夫がいてもいなくても付き纏ってその首を締めにくる見えない何かと向きあいつつ自身が廃墟と化してゆっくり森の奥に沈んでいくポルトガルの女、その凍るような美しさ、最後の足のぴく、までを。

大画面(でもなかったけど)見ると絵画の、細部の美しさにやはり圧倒される。

あと、これの前に見た”TERRA”の鈴木監督が召使役で出ていた。


O Trio em Mi Bemol (2022)

上のに続けて見ました。邦題は 『変ホ長調のトリオ』、英語題は”The Kegelstatt Trio”。現時点でのRita Azevedo Gomesの最新作。Éric Rohmerが80年代(『レネットとミラベル/四つの冒険』を作っていた時だって)に書いた戯曲『変ホ長調三重奏曲』を監督自身が脚色している。2020年11月の、ヨーロッパでロックダウンが少しだけ弱められた3週間(があったなー)で、手の空いている知り合いの助けを借りて集中的に撮ったものだという。インタビュー記事を読むととにかく撮りたかったらしい。

一年前に別れた元夫婦、という設定でPaul (Pierre Léon)の家をAdélia (Rita Durão)が訪ねてきて互いの近況について会話する、そのいくつかのシークエンスを撮影している映画監督のJorge(Adolfo Arrieta)とそのアシスタントのMariana (Olivia Cábez)、登場人物はほぼこの4人、撮影が行われるのがポルトガルの建築家Álvaro Siza (1933-)の設計による光に溢れるモダンな邸宅 - かっこいい - で、ふたりの再会と会話の重要なモチーフになるのがCDでかけられるモーツァルトの「ケーゲルシュタット・トリオ(ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲変ホ長調 K.498)」 なの。

元夫婦の会話は、Adéliaが現在の恋人との関係がどうなるどうする、と不満や不安や愚痴を含むあれこれを投げてそれをPaulがふんふん聞いてあげて、お茶を淹れたり音楽をかけたりして会話が転がってふたりのヨリが戻るのかどうか - 男女それぞれの思惑や惑いを右に左に散らして何が起こるのか/それみたことか、というあたりはとってもロメールぽいのだが、やはりどうしても演劇的な作為が見えてしまって - 演劇だからだけど - 家の外に、町の方に出たかったかも。

でも家 - 囲いとしての家 – その果ての廃墟 - はRita Azevedo Gomesのテーマでもあると思っていて、今作のモダン建築の撮りかたもおもしろいと思った。最後のほう、どんなにモダンでも夜の訪れとともに何かが歪んでくるように見えたり、とか。

あと、最初の方は、ふたりの演技がある程度進んだところで監督がカットをかけて「よくない」とか言ったりして、どこがどうよくないのか、具体的には言わなかったりする。後の方でその干渉がなくなるのとAdéliaの話がより混みいった、どうしろっていうの? レベルに変わってくるあたり、劇中劇としてのテーマと関係あるのかないのか。

本作のなかの三重奏についてはロメール自身が著作 - “From Mozart to Beethoven: An Essay on the Notion of Profundity in Music” (1996) のなかでヴィオラは男性、クラリネットは女性、ピアノはモーツァルト、であるとか書いているそうで。ドラマのなかでAdéliaがこの三重奏を思い出そうとするとき、あのフルートの旋律! って言うと、Paulが、ああそれはクラリネットだよ、っていうやりとりが印象的だった。


ポルトガルではないけど、Primavera Sound Barcelona 2024を取ってしまった。どうしよう…

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