3.21.2023

[film] Remontons les Champs-Élysées (1938)

3月18日の土曜日、シネマヴェーラのサッシャ・ギトリ特集で『幸運を!』に続けて見ました。

邦題は『シャンゼリゼをさかのぼろう』。英語題は”Let's Go Up the Champs-Élysées”。
共同監督としてRobert Bibalの名前がある(けど現場ではこのひとだれ? 状態だったとか)。

シャンゼリゼを遡ってフランスの歴史をおさらいする、かに見えて自分の先祖と系図について語ってしまう歴史捏造もの - フランスの歴史よく知らなくたっておもしろすぎる。こんなことやっちゃってもいいんだ。

学校の老先生(Sacha Guitry)がやかましいガキどもを黙らせようと面倒なだけのてきとーな計算式を解かせようとしたところ、壁のカレンダーでその日が9月15日であることに気づいて、諸君、シャンゼリゼを知っているか? あのフランスを作ってきた一本道を! とかなんとか演説のような講義をはじめる。

時は1617年、森とか林ばかりで狩猟場だったあたりに一本道を通せとマリー・ドゥ・メディシス(Germaine Dermoz)が命じて、ルイ15世(Sacha Guitry)の時代に大通りになる。ルイ15世の友ショーブラン侯爵(Lucien Baroux)が拾ってきた女占い師(Jacqueline Delubac)によれば、王はショーブランの死後、きっかり半年後に亡くなる、というのでショーブランの健康状態はずっと医師団に監視されることになり、自分の死期を知ってしまった王は好き勝手にやるよ、ってお忍びで16歳の愛人リゼット(Lisette Lanvin)のところに通うようになり、それを嫉妬したポンパドゥール夫人(Jeanne Boitel)が王に愛人を献上すべく指名してしまったのがまさか再びのリゼットで、こうしてふたりの間にできたリュドヴィク(Jean Davy)にはシャンゼリゼの土地が与えられ、王はショーブランがなくなって半年後、64歳の9月15日、天然痘で誰も近くに寄ってくれない状態でしょんぼりと世を去る。

ここでもう一度カメラは学校の老先生のところに戻って、自分こそがルイ15世〜リュドヴィクの血をひく子孫で、ここから先にぶら下がる男たちは誰もが64歳になった9月15日に亡くなっているのだ! って言うのだが、子供たちからすれば、だからどうしろっていうのおじいちゃん? だと思う。でも彼の名調子は止まらなくて、この後もマリーアントワネットとかナポレオンとか、特にリュドヴィクの息子のジャン=ルイ(Sacha Guitry)はナポレオンの隠し子のレオニ(Josseline Gaël)と結婚したので自分はナポレオンの血もひいているのだ、とか、孤独な散歩者であるジャン=ジャック・ルソーが庭園の図面を持ってきたり、演奏の場を求めてリヒャルト・ワグナーが自作を指揮しにきたりとか、とにかくシャンゼリゼをいろんな人達がざわざわ行き来して好き勝手にやっていくの。

彼のひとり語り、彼 - Sacha Guitryがひとりで五役も演じ分けながら語り倒そうとしたシャンゼリゼの、パリの、フランスの歴史とは! ででん! っていうのが稀代の弁士の曲芸のような名調子で一気に300年を駆け抜けていって、そこには策謀も身贔屓も裏切りもフェイクも捏造もなんでもありのてんこ盛りなのだが、ちっとも変で嫌なかんじがしないのは、まっすぐに伸びたシャンゼリゼの一本道のありえないまっすぐさを演劇的に(嘘八百こみで)語って動かす(ところどころWes Andersonぽく見えたり)、その快楽と欲望に身を委ねて酔っ払っているからで、それは彼が女性を舐めまわすように褒めて撫でて口説いていくその手口と同じだからかもしれない。(国粋バカが万歳して崇める手口とは根本からちがう)

つまりシャンゼリゼって、小股の切れ上がった女性のまっすぐに伸びた背筋みたいなもんで、何度訪れてもいつなんどきにさかのぼっても気持ちよいのだから、みんな街に出ようよ、アイスクリームもおいしいよ! って誘う。

あと、今日同じ特集で、彼のドキュメンタリー - 『祖国の人々』(1914)を見て、すばらしかったので後で書くかも知れないけど、ギトリにとって興味があるのは、史実とか出来事ではなく、あくまでひとりひとりの「人」だったのだなー、って。

大河ドラマもこんなふうだったら少しは見る気が起こるってもん、なのになー。
 

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