3.27.2023

[film] Le comédien (1948)

3月21日、春分の日の昼、シネマヴェーラのサッシャ・ギトリ特集で見ました。
『役者』。英語題は”The Private Life of an Actor”。

Sacha Guitryの父でフランス演劇界の重鎮だったLucien Guitry (1860-1925)の息子Sacha Guitryによる愛と敬意をこめたポートレート。冒頭に父の生前に撮影された動く像が挿入される。立っているだけでかっこよいひと。

最初はLucienの子供時代 - 学校の勉強より演劇の本ばかり読んで、芝居がしたくてたまらないようなので、やがて家族総出でLucienが上演する小屋をやったりするようになり、ロシアでの修業時代を経て大舞台俳優となった彼(演じるのはSacha Guitry)の千秋楽の楽屋を中心に、ここに出入りするいろんな人たちと、それぞれに彼がどんなことを言ったりやったりしたか、を並べていく前半。

まずはいつもいる衣装係のÉlise (Pauline Carton)に、劇場支配人のBloch (Léon Belières)に劇作家のLeclerc (Maurice Teynac)がいて、若い女優のSimonest (Simone Paris)がいて、ベテラン女優のAntoinette (Marguerite Pierry)がいて、大根役者(Robert Seller)には演技指導してあげて、そんなある日、知り合いのMaillard (Jacques Baumer)がやってきて、姪のCatherine (Lana Marconi)が君の芝居を見ているうちに君に恋をしてしまったようなので会ってやってくれないか、というので会ってあげたらやっぱり恋におちて、Blochからこんど舞台でやる新作の女優が見つからない、と言われるとCatherineがやりたい、と言うのでやらせてみたらちょっとダメで、まだやれる、と思っている彼女に、だめだ、そんなに甘いもんじゃない、恋と演劇は別だから、って別れたり。

後半は息子のSachaと父のLucienのふたり - Sacha Guitryの一人二役でふたりの俳優/演劇人によるメタ演劇のようなドラマが進行する。科学者パストゥールの肖像 - Sachaが台本を書いてLucienが主演した舞台 - 1935年にSacha Guitry監督・主演により映画化もされている – をめぐるやりとり、更にはSacha Guitryの書いた戯曲“L'Amour masque” (1923)上演時のやりとりが、老いたLucienが舞台に出られなくなった後も、客席と舞台の間で手紙を使ったりしながら行われていて、それ自体が演劇と映画を横断した「演技」にまつわる/についてのスリリングなドラマになっていて、父が掘り下げていった演劇に対する敬意と、息子がそこを起点として広げてみようとした映画に対する思い(ずっと残るもの、というあたり)の両方が入り混じっていて、考えさせられる。これ、舞台でやるのは難しくて、映画でしかできないやつかも、とか。(1921年の舞台版”Le Comédien”にはこの後半のエピソードはない、って)


Ceux de chez nous (1914)

同じ3月21日、ギトリ特集で、『役者』に続けて見ました。邦題は『祖国の人々』、英語題は”Those of Our Land”。この回のはSold-outしていた。

45分の短編だからか、上映前に坂本安美さんによる20分の解説が付く。この作品の上映はこの特集で3回あったので収録済の動画でも流すのかと思ったらご本人が舞台で直接お話されていて、なんて偉いのかしら、って。(24日の夕方なんて、日仏で『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』の前説もやっていたので、あの後にあの雨のなか渋谷に行ったのかしら?) 以下、解説された内容も含めて。

最初のバージョンは22分、上映されたのは『ナナ』が上演されたパリのヴァリエテ座で、その時はサイレントではなくSacha Guitryと最初の妻のCharlotte Lysesがライブで声を被せていたそう。その時のレコーディング音声は既に失われていて、その後の39年にLucien Guitryの映像と(トーキーになったので)ナレーションが追加されたバージョンが出て、54年にTV放映用にGuitryの家と彼の家にあるアート作品の描写を含む場面とナレーションを追加(このパートの監督はFrédéric Rossif)した44分のバージョンとして再構成された。今回上映されたのはこの54年バージョン。

撮影を始めた頃のSacha Guitryは27歳、俳優としては挫折して、でも劇作家としては成功して、この後どこに行こうか、という時に新たな表現として注目されていた映画と出会い、しかも一次大戦の合間で撮影を再開できる状態だった頃に、フィクションではなくドキュメンタリーとしての可能性に着目した(のってすごいな)。目的はフランスの偉大な芸術家たちの姿を残すこと、そして、ここで被写体となった芸術家たちの、こんな時分によくもまあこんな人たちを、という人選のすごさ。撮られる側は100年以上経って、こんなところでこんなふうに見られるなんて思いもしなかっただろうに。

ロダン、マネ、ルノワール(オーギュストとジャン)、ロスタン、アナトール・フランス、オクターヴ・ミルボー、サン=サーンス、サラ・ベルナール、などなど、彼らが動いたり描いたり喋ったりしている! そこにいる!(声は聞こえないけど)という驚異は上映当時に当時の人々が映し出された彼ら - まだ存命していた - に対して感じたそれと、そんなに変わらない気がする。

『幸運を!』(1935)で、宝くじの山分けを貰ったClaude (Sacha Guitry)が、その勢いで買った小さなルノワールの絵 - 描かれているのは小さなジャン・ルノワール - あれが実際にギトリの所有するルノワールだったことがわかったり。あの絵、どこかで確かに実物を見たような記憶があって、あちこち掘って探しているのだが出てこない。どこにいるの?

1914年に撮られたものを、その40年後、撮られた人々が遺した作品が並ぶ部屋で、改めて紹介する中には↑にも出てきた父Lucienの像も含まれて、そのようにして刻まれた記憶の重箱を、そこから更に70年後にアジアの端っこにいる我々が見るの。

あと、(フィクションだけど)『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』と同じ頃のフランス、というのもおもしろい。アートだけでなく、犯罪にも革新性の兆しのようなものがー。

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