3.29.2023

[film] Hommage (2021)

3月25日、土曜日の昼、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。
韓国映画で、邦題は『オマージュ』、韓国ローマ字表記だと”Omaju”。

冒頭、水泳教室に通っている女性がボードを使っても息継ぎがうまくできなくて取り残されている。それが女性映画監督のジワン (Lee Jung-eun)で、彼女にとっての三作目となる『幽霊人間』をリリースしてもヒットからは程遠く、制作会社の女性プロデューサーと一緒にがらがらの映画館の椅子に座って、どうしようか、って途方に暮れている。 ジワンは中年女性の – 外観だけだと所謂典型的なおばさん太りでぱっとして見えなくて、高校生くらいの息子からは適当に揶揄われたり弄ばれたりしているし、夫(Kwon Hae-hyo)の方は各種支払いも滞って困って、こちらが指摘すると逆ギレされる家庭内別居(or パラサイト)状態だし、映画に対する思いと今後のあれこれも含めてどうしたものか、になっている。

そんな時、国だか自治体だかのアーカイブ機関から、韓国初の女性監督ホン・ジェウォンの60年代の作品『女判事』の修復作業への協力を(収入は少ないけど)依頼されて、家庭やオフィスのあれこれから逃れるかのようにプロジェクトに入ってみると、彼女の監督としてのキャリアが苦難に満ちたものであったことを聞き、失われていた音声パートをあてていく中でフィルムのなかでごっそり失われた箇所があるらしい(劇中の人間関係に飛躍がある – 削除された? 検閲?)ことに気づく。 作品にも監督そのひとにも惹かれるものを感じたジワンは彼女を知る家族に会い、そこに残されていたノートを読み、挟まれていた写真を手繰って喫茶店に行って、そこから当時彼女の組で編集をしていた女性に会い、そこから『女判事』が上映されていた映画館にまでリールを伸ばしていく。

映画の手前のこちら側では、ジアンのアパートの隣のずっと不在になっている部屋から声が聞こえてきた気がしたり、アパートの前の駐車場の車でひとり練炭自殺をした女性が見つかったり、オフィスに行ってみれば引越しなのか清算なのかがらんと整理されているし、終わりの方では自分に子宮筋腫が見つかって手術、とか言われてどん詰まりの果てがない。でもこのふたつの世界は別のものではなく、繋がっているのではないか。

『女判事』の失われたプリントがあるかも知れないと言われて行ってみた映画館は天井に穴が開いてて、間もなく解体されるようなのだが、それでもオープンすると観客が入ってくる。不愛想な支配人はそんなフィルムは憶えがない、と言うけど一応探してみて、隅に積んであった帽子(オーナーが帽子屋をやっていた)を適当に持ち帰ってみたら…

NYでもロンドンでも、修復された映画のお披露目イベントに行ったりすると、失われたと思われていたリール缶がゴミ箱の横に適当に積まれていたとか、日々怪しいと思っていた書類の山のなかにいた、とかそういうエピソードを一度や二度でなく聞いたりしたので、本当にフィルムはありえないような近場の隅っこに身を潜めているのだと思う。だからこの映画のも決して奇跡ではないかも、って。

幽霊のように朧げな、細切れの現れ方をする女性監督がジアンに声を掛けてきて励ましてくれる、というような話ではないし、ホン・ジェウォンの像は古くなった映画館と同じように消え去ろうとしていて復活することは(おそらく)ない。ジアンも心身あちこちぼろぼろになりつつあるものの、なんとか踏みとどまろうとしていて、そこにはホン・ジェウォンとの出会いがあった。なんでふたりが出会えたかというと、どこまでも男中心で変わるとも思えないけど映画というものに関わることができたからで、そういうことがあるから、うまく泳げなくてももう少しプールに浸かっていたほうがよいのかも、って。

そんなジアンとホン・ジェウォンのシルエットの対照も美しい女性映画なのだが、それにしても、ここに出てくる男性連中のなんもしないクズっぷりにはびっくりよ。ろくでなしの夫はもちろん、母親に「なにか作ってよ」しか言わない息子も、洗濯ものの取り込みを女性ふたり(ひとりは老婦人)にやらせて平然としているアーカイブの職員も、子宮いるの? みたいな顔をする医者も、どいつもこいつも – わざとであってほしい - でも多かれ少なかれきっといる。

あの映画館、もう少しがんばれば蔡明亮の『落日』- “Goodbye, Dragon Inn“ (2003)のあれみたいになるよね。

ただこれを映画についての映画、と呼ぶにはあとほんの少し磁場がほしかったかも。映画人と映画館についてはなんとなくわかる。でも映画のなにがそんなに.. っていうあたりを。

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