3月3日以降の美術館・アート関係の続きを。
Very Private?
TateのCezanne展と並んで今回の英国行きのもういっこの目的はイースト・サセックスにあるCharleston Farmhouseを再訪することだった。前回来たのは2019年の8月。丁度3/2にThe Royal Balletの”Woolf Works”のリバイバルが始まって、こちらも再見したかったのだが、この日Alessandra Ferriさまは出られていないようだったのでやめたの。
朝早くにVictoriaの駅のM&S Simply FoodでサンドイッチとストロベリーシェイクとRed Leicesterのチーズを買って、Lewesに向かう列車内で食べる。あのぼそぼそのパンですらたまんなく愛しくおいしい。
前回の8月と比べるとはっきりと凍える寒さで人もいなくて(原っぱには雉がいた)、10時のオープンまでゆっくり池とか回るが近所にはなんもない。改めてよくこんなところにー。
Vanessa BellとDuncan Grantと子供たちの住処、Bloomsbury Groupの夏の拠点に併設されているギャラリーで昨年から公開されているDuncan Grantのドローイング – 1940-50年代に描かれた40数点を束ねたフォルダが友人たちの間でプライベートに手渡し保管されてきたものが2020年、Charlestonに寄贈されたのを機に今回初めて一般に(Rated R?)公開された、と。
展示はDuncan Grantによる件のドローイングだけでなく、他に6人のアーティスト - Somaya Critchlow, Harold Offeh, Kadie Salmon, Tim Walker, Alison Wilding, Ajamu Xによる作品も並べて展示されている。
この作品たちが公開されてこなかったのは”Very Private”だから、というだけでなく、作成当時、同性愛は違法で逮捕されてしまう可能性があったからで、ここに”?” が付いているのはそこまでプライベートに守らなければならなかったほど際どいもの? というのと、なんでこんなのが違法になっちゃうのさ? というのの両面の問いがある。
実際の画として見た印象だけだと、Tateなどで見ることのできるDuncan Grantの大判の絵のB面のような印象で、その素朴さも含めて今であればこんなのごく普通だよねー、と思うとその周りに現代のアーティスト6人によるよりむきむきした表現のが並んでいる。 Tim Walkerのとか、美しいし。
Charlestonの家(Farmhouse)の方は、前回は時間を区切られてグループで部屋ごとに回っていくツアー形式だったが、今回は人がいなかったせいか、触っちゃだめだけど好きに勝手に見ててねー、聞きたいことあったら聞いてー、に変わって、写真も前は不可だったのがOKになっていた。
Vanessa BellとDuncan Grant、その子供たちがインテリアや調度も含めて自分たちのやりたいように描いたり飾ったり積んだり、絵画や彫刻も好きに置いたり並べたりしていった結果の、”Living Well is the Best Revenge”の英国版としか言いようのないチャーミングで変てこで愛らしい家。あちこち建付けは悪そうだし、冬はとっても寒そうだけど、ここで暮らしたら毎日楽しいだろうなー、って。
本と積んである本と雑誌と本棚はいっぱいあって、背表紙の写真を撮ったので後で眺める。
Quentin Bellの書斎の机の上にはJulius Meier-Graefeの”Cezanne und sein Kreis” (1920)がぽつんと置かれていた。
アトリエから外に出るとRoger Fryのデザインした庭があって、ここも半分朽ちて半分生きているような石像がいたり転がっていたりするのがよいのよねー。夜になると部屋の灯りの下で彼らは。
もう少し暖かければ、少し離れたVirginia Woolf夫妻の住居Monk Houseと、彼女が入水自殺した川にも行きたかったのだが、まだ冬でクローズしていた。
このあとロンドンに戻り、National Gallery(あちこち改装中)に行って、Raphael展の図録を買いにいっただけなのだが、やっぱり常設のところで捕まって立ち止まって、いちいち「あ」とか「う」とか「おぅ」とかばかりでどうすることもできないのだった。とにかくこれらを無料で見れるってとんでもなー。
M.K. Čiurlionis: Between Worlds
3/4の午前、ブリクストンからバスで少し行ったところにあるDulwich Picture Galleryでリトアニアの画家・作曲家のMikalojus Konstantinas Čiurlionis (1875-1911)(ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス)の展覧会をやっていたので見る。
おとぎ話や星座、占星術などに影響を受けているであろう壮大で、少しメランコリックで、砂や花粉で描かれたように儚く浮かびあがってくる絵たち。図形楽譜のかんじもある。 音楽家としてはかのランズベルギス氏がこの人の研究者であることは有名よね。
ここは庭園も通りの向かいの公園も含めて居心地のよい美術館で、最初に来たのは2017年のVanessa Bellの展示だった。チュルリョーニスの次、今月末からはBerthe MorisotのUKでは最初の大規模展が始まるという。いいなー。9月までかー。
Giorgio Morandi: Masterpieces from the Magnani-Rocca Foundation
ブリクストン経由でイシリントンに向かい、Estorick Collection of Modern Italian ArtというギャラリーでModandiを見る。2室だけの小さなとこで点数もそんなにないのだが、油彩から水彩からデッサンまですばらしく充実している。彼の肖像画があり、いつもの白瓶の線の歪みとか屋根のたわみとか抽象の水彩の滲みまで、彼の家のなかの風景を見ているような。
組紐 KUMIHIMO: Japanese Silk Braiding by DOMYO
オープニングの時に恐々と中をのぞいてそれきりになっていたJapan Houseでの展示で、紐関係だし、あまり見たことない世界でもあったので。前日にTateで見たMagdalena Abakanowiczのと比べると(比べるな)、同じ繊維を扱っているとは思えない世界の束ねよう、縛りよう。紐を通して、紐が担ってきた機能、相手にしてきた世界の面倒くささとか複雑さについて思った。
Alice Neel: Hot Off The Griddle
4日、アート関係の最後、BarbicanのArt Gallaryで見ました。
アメリカの女性画家 - Alice Neel (1900-84)の大規模展、彼女の周囲にいた人々の肖像画 - 最初の(唯一の)夫、恋人、グリニッジヴィレッジの有名人、アーティストたち – Warhol、Gerard Malanga、労働者、近所のいろんな人々、工場のストライキ、などなどを描いて、どれも癖とか臭いがあって、ディテールが豊かで、ユーモラスで楽しい。根本敬をもう少し上品にしたような。そのどれも暖かい。 80歳の時のヌードの自画像 - “Superlative defiance” (1980) のかっこよいこと。
会場ではRobert Frankの”Pull My Daisy” (1959)がずっと回されていた。あのかんじもある。
Whitechapel Galleryで見た”Action, Gesture, Paint: Women Artists and Global Abstraction 1940-70”とも(こちらはどこまでも具象だけど)共鳴しているなー、と。
絵を見るのって楽しいなー、しかなかった。
3.15.2023
[art] Very Private? - 他
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