もう3月なんだねえ。
2月21日の木曜日の晩、BFIのAntonioni特集で見ました。
英語題は“Beyond the Clouds“、邦題は『愛のめぐりあい』.. めぐりあわないのに。
『赤い砂漠』の時にイントロに登場したEnrica Fico Antonioniさんが、彼は10年以上かけてこの作品を完成させたので是非見てほしい、と言っていた(これの別の上映回では彼女とのQ&Aもあった)ので。
闘病していたAntonioniを助けるかたちでWim Wendersがプロローグとエピローグを担当している。
冒頭、なんかを考えている機上(雲の上)の映画監督(John Malkovich)がいて、着陸すると霧のなかを車で走っていく。 ここから4つのエピソードが展開されるのだが、これが監督の頭の中で構想されたなにかなのか、それとは別に監督が遭遇したり見聞きしたりしたことなのか、両者のミックスなのかはわからない。個々の話の詳細には触れませんけど、それなりに(今も)有名な俳優たちが2-3名、だいたいは出会ってセックスして別れて、とか、別れ話があってやはり別れて、とか、出会いと別離をめぐる決着のない(すれ違ったままの)いろんな関係がスケッチされていく。
初期の「愛の不毛3部作」では、地形とか昼夜とか建物とかが介在して決してひとところに落ち着つこうとしない、どう転んでも決着しないまま引き摺られていく愛の行方を描いていたが、ここのは当事者のふたりに寄って立つところのものがなんもない状態の、肉とかより実存に近いところでの決定的な断絶があって、なにをやってもどうしようもない、みたいなところまで来ているかんじがする。ただそれって映像にするとほぼ何も起こらないに等しいか、せいぜいミニマルで凡庸なメロドラマにしか見えないので “Beyond the Clouds”って煙に巻いたりしたのだろうか。 雲の向こうにはあるものがあるのか、それは誰にもわからないので黙るしかない。
というのを自身の長編監督作のラストに持ってきたAntonioniはすごいなあ、って。
そういえば“La Notte” (1961)に出ていたMarcello MastroianniとJeanne Moreauが出てきて、あそこでは作家の設定だったMastroianniがここでは画家になっていて、巨匠のまねっこをしとくのがいちばんじゃよ、とかいうの。
Il mistero di Oberwald (1980)
2月22日の晩、BFIのAntonioni特集で見ました。これが自分にとってはこの特集の最後の1本、かな。
英語題は“The Mystery of Oberwald”で、原作はJean Cocteauの戯曲 - ”L'Aigle à deux têtes” (1946) 『双頭の鷲』。Cocteau自身が映画化しているが見ていないし読んでいない。
19世紀の昔、山を越えいろんな動物(なめくじとか)をかきわけてお城にやってきたSebastian (Franco Branciaroli)はずっとお城に籠っている女王 (Monica Vitti)を殺して国を解放しようとするのだが、殺そうとした手前で気絶して、こいつは婚礼の日に王を暗殺した奴で、でも王に瓜二つで、で女王が愛する詩の作者でもあった、と。女王は彼を殺すのか彼が女王を殺すのかー。
全編ビデオ撮影されていて、字幕の書体はメタルのロゴみたいなゴシックで、この時代のビデオなので解像度はちりちりで、その辺も含めたなんかの効果を考えているのか、色遣いも割とけばけばしていて、当時流行っていたメディアミックスとかコラージュみたいなことをやりたかったのかしら、CocteauをベースにしたAntonioni、しかもミステリー仕立てという意外性も含めて。
ここで描かれた世界を含めて全体がVHSの箱(当時はね)に封じこめられて、その中で延々再生と巻き戻しを繰り返す – そういう歴史のありようをパッケージする、対象化する、そのへんを狙ったのかなあ。 BGMはゴスメタルみたいのにしたら結構はまったかも。
4月にRoyal Albert Hallで予定されていたRyan Adamsのライブ、チケットを取った2日後にあの問題が露呈してあーあ、って思っていたら今日通知がきてキャンセルだって。 まったくねえ。
3.02.2019
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