16日の土曜日のお昼に六本木でみました。
National Theatre Liveのシリーズで、こないだの『欲望という名の電車』の次のやつ。
上映されるのはシネコン、でもこっちは演劇を見るつもりで来ている。 のに、いつもの映画(だけじゃない)のくだんない宣伝予告に映画泥棒までをひととおり流されて、ほんとにげんなりする。 いまのシネコンが関心あるのって集客だけで、客のことなんかこれぽっちも考えてないよね。
原作はスタインベックの小説 -『二十日鼠と人間』(未読)で、30年代 - 大恐慌時代、農場を渡り歩く季節労働者のふたりのおはなし。
James Francoさんの2014年はこればっかしだった、と別に熱心にフォローしているわけでもないのに、なんでかわかる。どこからか流れてくる。 ほんと変なやつ。
頭がよくて真面目なGeorge (James Franco)は、体がでっかくてちょっと頭の弱い甥のLennie (Chris O'Dowd )の面倒を見ながら一緒に旅をして農場を渡り歩いて、そうやって小金を貯めていつかは自分たちの農場を買おうな、て夢を見ている。
怪力男(でも気はちいさい)のLennieはふわふわちっちゃいのが好きで、ネズミを見つけては寄っていって捕まえて、でも力の加減がわからずにすぐに潰しちゃうのでGeorgeに怒られてばかりで、彼の夢は自分たちの農場でてんこもりのウサギに囲まれて暮らすことなの。
ある日たどり着いた農場には結婚したてのぼんぼんとその浮気性の妻 (Leighton Meester)とか、いろんな人たちがいて、そこには明確な階層というか序列というか厳しい食物連鎖があって、底辺で虐げられている老人とか老犬とか黒人とかもいて、そのなかでふたりの位置も将来もぼんやりと浮かびあがって、やがて悲劇が、起こるべくして起こる。
最初にネズミを殺しちゃったLennieが、どこに行っちゃったんだようって嘆く冒頭からふたりの行く末はじゅうぶん想像がついて、だいたいその通りになるのでほんとにやりきれない。 だってふたりはどっちもぜんぜん悪い奴ではないのだし、ではなにがいけなかったのか、その解も、あの世界のなかにいる限りは見えてこない、その出口なしのやりきれなさ。
スタインベックがこれを書いた時点で農業は既に機械化が進んでいて、ここに描かれたような世界はすでに"Ghosted World"となっていた、と幕間に演出家のAnna Shapiro(”This Is Our Youth”もこのひとの演出)が語っていた。 我々からすれば、更に海の彼方、忘却の彼方にあるどうすることもできないこのGhosted Worldが、なんでこんなにシンプルに胸に刺さってくるのか、わからない。
John Fordの古い映画を見たときに来るあのかんじ、と言ったらほめすぎだろうか。
最後、George の頬をつたう涙はライブでは見えなかったかも。
James Francoもよかったけど、Chris O'Dowdもすばらしいの。 やっぱし生で見たかったねえ。
5.21.2015
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