27日の火曜日に六本木で見ました。
11月27日がHendrixさんの70歳のお誕生日だそうで、それに合わせてリリースされたライブ映像 - オリジナルの16mmからデジタルリストアして、音も ライブ当時のエンジニアだったEddie Kramerさんの手で5.1サラウンドにリマスターされたやつ、が全世界でこの日だけ映画館上映される、と。
東京だと六本木と渋谷で上映されて、六本木のが音はよいのでそっちに行った。
こないだのLed Zeppelinのもそうだったが、最近ぜんぜんライブに行けていないので、こういうので音を浴びるしかない。 つまんない。
TOHOのシネコンで最近かかるメッセージ・ムーヴィーとかいうのに軽く死んで、予告でかかったO崎なんとかの復活で髄液レベルで悪寒が走り、映画泥棒CMでトドメをさされる。 ここまで不快・不愉快にさせてくれる娯楽施設も珍しい。
えー、Jimi Hendrixというひとの音楽も、Zeppと同様、そんなに詳しいわけでも熱狂的なファンでもなくて、数年前にBBC Sessionsを始めとしたきれいな音のがまとまってリリースされた頃に聴いた程度、このWoodstockの映像もまとまって見たのは初めて。
ものすごーくギターのうまいひと、程度のイメージしかない。(←最低)
最初にWoodstock、Jimi関係者の証言があって、このライブの大トリを最初から決めていたこと、それを前にした新バンドのこと、などなどが語られる。 早くはじめろよ、もあるのだが、その発言のトーンから、あとあとのフィードバックを意識したあらかじめの言い訳ぽいかんじがありあり。 別にいいじゃんもう。
Woodstockの最終日の大トリ、予定がだらだら押して月曜の朝早くに登場したバンド、自分がもしその場にいたら、を想定してみると、なかなか微妙かもしれない。 こっちの頭を叩き起こすような鮮烈な、鬼気迫る演奏、というわけでも、フェスの最後を飾る感動のヴァイヴをもたらしてくれるわけでもない。 Jimiはひたすら自身のギターの音に没入し、歌い、カメラはほぼその姿のみを追っていくばかりなので、ライブの全体は見えにくいのだが、しばらく遠くから眺めて帰っちゃった客も相当いたのではないか。
ここでの彼の音楽史、例えばギタープレイあれこれ、バンドスタイルの変遷といった角度からはなんも言えないのだが、このバンド構成 - パーカッション3、ベースにサイドギター - Bnad of Gipsysで、彼がやろうとしたこと、ギター中心のファンク、ジャムセッション形式の音がその後の米国音楽に与えた影響はじゅうぶんにうかがうことができるのだった。
音のぬたくるジャングルをぐるぐる切り裂きながら進むギター(とそのリフ)の気持ちよさ、それはやはりこのあたりからだったのか、とか。
もういっこ、シアトルというのもあって、現地に行ってみるとグランジとKurt、というのは当然出てくるのだが、このひとも必ず登場してきて(数年前にBoxも出たよね)、シアトルという土地の、あのうっすらと湿ったかんじ、はどこかに反映されているのかいないのか。
おおもとの音がこんななので、5.1サラウンドでもそんなにびっくりするほどの音は飛んでこなくて、たまに泥のハネが飛んでくる程度。
ライブの後も、後日談、というかんじの関係者コメントが暫く続くのがちょっと残念だった。 資料的価値を優先したかったのだろうが、音楽に集中したいひとはいらつくかも。
字幕はもうちょっとなんとかしないと。 縦レイアウトになるとカタカナの「ー」が横になって崩れるとか、翻訳以前のところも含めて。
12.06.2012
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