なんでみんなあんなに楽しそうに忙しそうに毎日毎日宴会ばっかりやっているのか。ばっかじゃないのか。
ぜんぜん書けていませんが、1日の土曜日、神保町で『夜の流れ』を見たあとで新宿に行って、見ました。 ホン・サンス特集の『次の朝は他人』。
もこもこのジャケットを来た映画監督(『教授とわたし、そして映画』でもそうだったが、なんでみんなもこもこを着ているのか)がソウルに来て、街中を歩きながら先輩に電話をかけるのだがつかまらなくて、することもないまま酒を飲んで、更に酒場で知り合った学生3人組と飲んだりして、その後で、ふらりと突然昔の彼女のアパートを訪ねて、彼女は2年ぶりなのでびっくりしたりむくれたり、でもなんか嬉しそうで、そのままひと晩すごす。
その翌日にやっと先輩がつかまって、先輩と先輩が連れてきた女性と一緒に「小説」ていうバーに行って、後から現れたそこのオーナーである女性にびーんときてしまった彼は、店の外で突然彼女を抱きしめてキスして、翌日もまたお店を訪れて彼女とひと晩過ごして、それで別れるの。 それだけなの。
筋だけ書くとそこらのぼんくらの日記みたいに間の抜けた、いいかげんで適当な冬の3日間の行動(特になんの収穫もない、その後の生活とか人生に大きな影響を与えるとも思えない)が時系列で綴られているだけで、ジェットコースターでもスクリューボールにもならない、出会う人たちは先輩以外はみんなたまたま会った、たまたまそこにいたような人たちで、これがそのまま映画になってしまうことにまずびっくりしよう。
でもたとえば。
この主人公が映画監督ではなくて殺人鬼だったらどうか、とか。
昔の恋人の部屋を訪ねて彼女を殺し、翌日先輩とその友達の彼女を次々に殺し、バーのオーナーを殺して、みたいだったとしたら、これだったら映画になるかんじもする? それがどうした(どっちにしても)、 ではあるのかもだが。
出会いがしらのナイフの一突きを、ハグとキスに置き換えてみること。
寒そうな夜道で外に出たふたりが突然がしっと組みあって貪るようにキスをするシーンは、おいおい動物かよ、ていうくらい唐突で、その瞬間に嵐が巻きおこって、その生々しさも含めてそれはそれはすばらしくて、その瞬間に、あーこれは人殺しとおなじくらいすごいことだ、ひとを抱きよせて口と口をべったりくっつける、ていうのはそれくらい恐ろしいことなんだ、と思ってしまうの。 そんなところも含めて『次の朝は他人』てことなのか、と。(英語題だと『彼が着いた日』なのだが)
あとさあ、なんでホン・サンスの映画って、ぼんくら男(すけべのうすらぼんくらにしか見えない。わるいけど。どうみても)の周りに、きれいな女性がいっぱい現れるのだろうか。
あれはないんじゃないか、というと、だから映画なんだってば、て返ってくるの。
12.13.2012
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