11.09.2022

[theatre] Les Fourberies de Scapin

アンスティチュ・フランセ東京による「モリエール生誕400年記念 スクリーンで見るコメディ・フランセーズ」という企画で、Comédie-Françaiseによるモリエールの古典2本、Pathé Live(National Theatre Liveみたいなの)で配信されたものをル・シネマで見る。週末の2晩がとんでしまったけど、よかった。 モリエールも含めてほんとにおもしろいのだからもっと値段下げて上映回数増やしてくれればよいのにー。

Comédie-Françaiseは90年代にBAMに来た時に生の舞台を見て(その時はマリヴォーの『二重の不実』だったかモリエールの「ドン・ジュアン」だったか..)、それまでは古典演劇なんて見たことなかったのにこれがものすごくおもしろくて衝撃で、それ以降シェイクスピアとかもライブで見たほうがいいのかな、になった。

Les Fourberies de Scapin

10月22日、土曜日の晩に見ました。上演されたのは2017年10月26日。『スカパンの悪だくみ』。舞台の演出はDenis Podalydès。 本編が始まる前の映像で衣装がChristian Lacroixであることを知る。こんなところにいたのね。

港町ナポリの青年オクターヴ(Julien Frison)は、父アルガント(Gilles David)がいない隙に恋人イアサント(Pauline Clément)と結婚していたのだが、父はオクターヴを仕事仲間のジェロント(Didier Sandre)の娘と結婚させようと思っていて、彼の息子レアンドル(Gaël Kamilindi)もジプシーの娘ゼルビネット(Adeline D'Hermy)と結婚しようと思っているのだが大金の身請け金が必要で、困ったふたりはレアンドルの使用人スカパン(Benjamin Lavernhe)に相談すると悪賢い彼の極めててきとーな悪だくみが..

親たちをだまして金を巻きあげるのと、話をでっちあげて言いくるめようとするのと、どれもぎりぎりでなんとかなりそうで、ジェロントを袋叩きにしたりしてざまあみろ、になったところでぜんぶばれて、てめええ..  ってなったところで冗談みたいなどんでん返しですべて落着してよかったねえ、になる。こんなのでいいのか? という乱暴さ軽薄さも含めての「悪だくみ」、なのね。

元はテレンティウスの戯曲に着想を得たものなので、スカパンの粗野ではったりに満ちた振舞いは道化のそれでよいと思うのだが、これらがLacroixのクラシックな衣装(すてき)を纏って演じられるといいのか..に少しなったけど、これでよいのだと思った。

スカパン役のBenjamin Lavernheは、こないだ見た“Délicieux” (2021)にも出ていたけど、べらべら小狡そうで叩き売りとか宗教の勧誘とかやったら巧そうだねえ。


Le Madalie imaginaire

10月23日、日曜日の晩に見ました。上演されたのは2020年11月5日。モリエールの遺作でもある『病は気から』。舞台の演出はClaude Stratz。

17世紀のパリで、医者の言いつけを愚直に信じて病床に自分で自分を縛りつけて薬とか浣腸づけになって不幸であることの幸せを噛みしめているアルガン(Guillaume Gallienn)がいて、娘のアンジェリック(Claire de La Rüe du Can)は恋人クレアント(Yoann Gasiorowski)と一緒になりたいのだがアルガンは崇めているお医者さまの異様にキモい息子のトマ(Clément Bresson)とアンジェリックを一緒にしようとしていて、アルガンの若い後妻のベリーヌ(Coraly Zahonero)は、病で死んじまうであろう(死んでほしい)父と娘を仲違いさせて遺産をひとりじめしようとしていて、そういうのを見かねた女中のトワネット(Julie Sicard)がアルガンの弟のべラルド(Alain Lenglet)に手伝ってもらってひと芝居 - アルガンに一回死んでもらおう – うつことにして、やってみると …

他にこれ以上のオチなんてないじゃろう、の落語にもあったようなどたばた風刺喜劇で、死にたくない願望といんちき医術と遺産さえあればあとはいらないの悪だくみを「病は気から」- ほーら問題ない、って乱暴に丸ごとぜんぶ蹴散らしてなにか問題でも? って。スカパンの袋叩きもそうだけど、これで本当にショックで死んじゃったらどうしたのだろう、とか。

結局、どいつもこいつも自分のことしか考えてない半病人みたいのばっかりじゃん、しっかりしようよ! っていうただそれだけなのだが、ややゴスがかった荘厳なセットと臭ってきそうな(お尻まるだし)アルガンの体よりも頭のなかを見て貰ったほうが - のやばい挙動を見ていると当時はこんなふうだったのかもしれないし、カルトやゲーム(妄想)や健康(商売)への執拗な宣伝に溢れかえる今の世の中を見るとたいして変わっていないのかもしれないねえ、とか。

Comédie-Françaiseのコメディって、舞台セットや衣装も含めて、作劇をできる限り厳格にオリジナル – 本来上演されていたであろう様式を活人画のように忠実に再現することで、露わになるであろう段差やあらあら(なんてひどい!) - も含めて見せようとしている気がして、それなら歌舞伎や浄瑠璃でも同じではないか、なのかもしれないのだが、いまの自分がコネクトできてしまうのはシェイクスピアなども含めて西洋の方なので、しばらくはこちらを追いかけたいかも。あと描かれる人の欲とか業の普遍性とか、これは劇に限られることではない古典の小説や戯曲を読むときのベースでもあって、何度でも上塗りされてよいの。


アメリカの中間選挙、アメリカのは過去何度も死ぬほどひどい目にあってきたし今度も覚悟していたのだが思っていたほど… だったかも。 でもなんであんなのが..  は相変わらず、ある。
 

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