8月8日、月曜日の晩、Disney+で見ました。こんなのふつうに劇場で見せてほしいんですけど。
監督は”10 Cloverfield Lane” (2016)の人なのね。邦題は『プレデター: ザ・プレイ』。
プレデターのシリーズは、Arnold Schwarzeneggerが軍人で戦ったりしていた最初の方は怖くて近寄れなくて見ていなくて、見れるようになったのはAlienが出てきたり怪獣ものみたいになってきた頃から。要はただの喧嘩好きの単細胞な虫みたいなやつなんだな、って思うことにしたの。
お話しはとってもシンプルでそれだけで好感がもてる。(のはなぜか?)
今から300年くらい昔(1719年)のコマンチ族が暮らしているアメリカの森林地帯で、まだ若いコマンチのNaru (Amber Midthunder)は兄のTaabe (Dakota Beavers)のようにみんなに認められる一人前の狩人になるべく愛犬のサリィと一緒にライオン(クーガー?)を追っかけたりしながら修行しているのだが、なかなか難しい。
そういう日々を送るある日、遠くの空に光る物体みたいのが現れて消えて、しばらくするとバイソンの群れがみんな皮を剝がされて転がっていたり、熊とかでっかい獣が変なふうに殺されているのが見つかる。食用、というわけではなさそうで、明らかに戦った後の勝利の見せしめのような見せかたをしているのでなんだこれは? になっているといきなりよくわかんないプレデター一匹が現れて村人を殺しまくってNaruは殺されずに罠にかかった状態のまま捨てられて。
アメリカを探索しているフランス人の一団がNaruを拾って拘束した状態のままプレデターのことを聞いたりするのだが結局連中も現れたあれに端からばさばさとやられてしまったあと、彼女はTaabeと合流して、あとはフランス人が持っていた銃とか、敵に察知されないようにするために体温を下げる薬草とか、切り落とされた片足とか、連中の追尾システムとか、知恵と機転と勇気を総動員した戦いになるの。
大勢で武装してそこの星を侵略するためにやってきた、というよりもそこの強そうな奴と対決して自分が一番であることを誇示したい、そういう動機の変なやつが一匹で飛んできたのがまだ幸いで、それを受ける側は筋肉とかパワーでは勝てないので、伝わる知恵とか土地についての知識とかそこにあるものを駆使して戦うしかない。この設定 - 負けん気の強い女の子と犬ころ、一族のリーダーとして有望視されている兄 – が束になって戦う、っていうのがおもしろくて、ふつうに負けるながんばれ! って手に汗握る。
敵はこちらの年齢も人種も性差も性向もなにひとつわかって考慮してくれるわけがない、向こうにとってはライオンも熊も人もぜんぶ一様にエイリアンで、こちらにつっかかってきたら倒すだけ、それだけの単細胞動物で(ひょっとしたら彼らも裏ではいろいろ悩んだりしているのかもだけど)、相対するこちら側には昔からの伝承とか伝統とか掟しきたりみたいなのがいろいろ付きまとってくるので、あーうぜえ、って思っていたりもしてて、互いに生きるか死ぬかの泥まみれの戦いのなかで、いろいろ剥がれ落ちて咬みあう獣のようななりふり構わぬところに行くの。
宇宙船で飛んできたからといって設定を近代以降に置く必要なんてない – Schwarzeneggerもいらないのだ、っていうのは当たり前のようでなかなかなかった発想の気がする。『捜索者』 (1956)ではコマンチ族ってここのプレデターみたいな扱いだったかも。あとこれの前日に見た – “7 Women” (1966) -『荒野の女たち』のTunga Khanって、まさにここのプレデターと同じようなやつだったかも – Anne Bancroftは戦わなかったけど - とか。
それにしても、プレデターって単独でなにをしに来たのかしら? あいつはNaruにやられなかったらあのままずっとあの場所に居座って、でもひとりでなにをするつもりだったのかなあ、って。
時代も地域も設定フリーになったので、次はどこに、の期待が膨らんで、白土三平の時代とか、ガチの侍時代劇の頃のが見たいかなー(プレデターって日本昔話だとふつうに「鬼」だよね)とか。それか”Star Wars”の”The Mandalorian”の無法者の世界とか、X-Menのミュータントと戦うとか。 テーマとしては「戦争」よりも軽く、力比べ知恵比べみたいなところでシャープにぐさぐさやりあうのがおもしろいのではないかしらん。
8.22.2022
[film] Prey (2022)
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