3.14.2022

[film] Licorice Pizza (2021)

3月6日、日曜日の晩、米国のYouTubeで見ました。
日本公開が7月と聞いてもうほんとに、改めてうんざり嫌になっている。向こうでは昨年から35mmフィルム上映や70mm上映まであって楽しんでいるのに、なんで? これがこの国の洋画配給の実力であり限界なのだ、と言われたらあーあ、しかないけど、VPN刺せば向こうのストリーミングには結構アクセスできるのだから、そんな商売やっていたら客はどんどん離れていくよ。しらんけど。

Paul Thomas Anderson(PTA)作・監督による新作。音楽はJonny Greenwood。
“Licorice Pizza”っていうのは昔カリフォルニアに実在したレコード屋のチェーンで、あとになってSam Goodyに買われた、と。ヴァイナル・レコードそのものを指す(L.P.だし)のだとも。

1973年、カリフォルニアのSan Fernando Valleyの高校でイヤーブックの写真の撮影会があって、そこのアシスタントをしていた25歳のAlana Kane (Alana Haim)に15歳のGary Valentine (Cooper Hoffman)が自信たっぷりに声を掛けてディナーに誘おうとする。

この時点でGaryは自分ならAlanaくらいの年上女性だってちょろいと思っているし、それを見透かしたAlanaはなめんなガキ10年早いわ、って追っ払おうとして鼻息が荒い。ここが起点となって、あたしはあんたのことなんかどうとも思っていないんだからなわかっとけ、って言うことを思い知らしめるために会おうとする/会わないようにするふたりの双方向の取っ組みあったり引っぱたきあったり、意地と欲求の追いかけっこが始まる。予告でもふたりが犬のように並んで走っていくシーンがあったと思うが、ほぼそれだけ、の映画でもある。洗礼も卒業も別れも、儀礼も学習も難病も奇跡もなしにただ本能レベルで互いを嗅ぎまわって追っかけたり追い払ったりしているだけ。 なぜか? 恋なんてそんな程度のもんだから、って。「まあしょうがないよね、他にもてなさそうだしあいつ」ってどっちも同じ勢いでいう。

こうしてAlanaがTV番組収録でGaryをNYに運んだり、GaryがAlanaの家のディナーに呼ばれたり、Garyがウォーターベッド屋を立ちあげたり、それが石油ショックで潰れてからはピンボールのゲーセンを始めたり、Alanaがオーディションで知り合う変な映画監督(Tom Waits)と俳優Jack Holden (Sean Penn)のこととか、Barbra Streisandと関係のあったヘアドレッサーのJon Peters (Bradley Cooper)といったぶっとんだやばい大人たちを見たり関わったり、Alanaが選挙活動をする市長候補(Benny Safdie)の事務所にボランティアとして参加したり、いろんなことが起こる。Garyが警察にしょっぴかれたり、ガソリンが切れたトラックをAlanaが運転していくところとかスリリングでおもしろいったら。

PTAの純愛ものというと、まずは“Punch-Drunk Love” (2002)があって、あれが電撃的な啓示を受けて一直線に海を越えてハワイまで突っ走っていくふたり(大人)を描いていたのに対し、これは一枚のレコード盤(or ピザ)のでこぼこの上をぐるぐる回って目をまわしている子供たちの話、のような。

なんで70年代西海岸なのか、については監督自身の原風景とかこの時代の映画 – Hal Ashbyとか、一瞬映りこむErich Segalの小説とかいろいろありそう。”Once Upon a Time in... Hollywood” (2019)にもあった、なにが起こったっておかしくないふざけてふやけた空気のかんじ、とか。

大好きなHaimのAlana Haimが - 彼女だけでなく家族総出で出ていることについてはうれしー(素敵!)、しかないのだが、Philip Seymour Hoffman(PSH)の子 - Cooper Hoffmanについては予告でその風貌を見たときからいろいろ迫ってくるものがあってうわー、しかない。

同じくPTAの70年代群像劇 - “Boogie Nights” (1997)の映画撮影現場で照明をかざしてぷるぷるしつつ突っ立っていたPSHと同じようなシーンがあるし、“Punch-Drunk Love”でのPSHはマットレス屋をやっていた – DVDのおまけ映像にこのマットレス屋のCMが入っていて、それが最高ったらないの。PSHの相手に届きそうで届かない、なんともいえない困惑顔と笑顔と嫌悪が入り混じって内に向かう声 – “Fxxx” – これが解き放たれる瞬間の熊の破壊力とか、これを受けとめるマットレスとかウォーターベッドの弾力は確かに受け継がれている..

音楽は冒頭で夢のように流れてくるNina Simoneに始まって黄金のスタンダード – “I Saw the Light”とか”Let Me Roll It”とか”Life on Mars?”とか”Diamond Girl”とか、これらを繋いだライナーが書けそうで、これらがウォーターベッドやピンボールの電飾のように心地よく画面を揺らして彩り、その隙間でJonny Greenwoodのスコアがどっちに転がっていくかわからない不穏さと共に鳴っている。

アジア人(日本人)蔑視の件については、やっぱり少し残念かも。当時はああだった、というだけなのかもだし、他の映画だって、など言いようはあるのだろうが、あの画面と構図でなにが起こるかすぐにわかってしまう - その軽さと安易さが。

亡くなった映画人に捧げるシリーズ、今回はRobert Downey Sr. でした。
 

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