2月27日、日曜日の午前、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニングショーの原節子特集で見ました。
阿佐ヶ谷、6年ぶりくらいだったかも。
原節子って、小津、成瀬以外であんま見たことない気がしたから、くらいで。
国立映画アーカイブのフィルムで、日曜の朝なのに並んで満員になっていた。そういうもんなの?
監督は谷口千吉、助監督に岡本喜八、音楽は伊福部昭。東宝スコープっていうのらしく、でっかい原野が広がったり廃墟のような兵舎の色具合などなかなかきれいだった。
戦争が始まってしまったし.. というのを考えないわけにはいかないのだが、とりあえず見よう。
第二次大戦直後の旧満州で、女学校から前線に看護婦として動員されていた女学生たちが軍に見放されて歩いて荒野を彷徨っていて、逃げきれずに中国の八路軍に捕らえられる。捕らえられた先生のとみ子(原節子)と女学生たちは孫化南(平田昭彦)の率いる野戦病院に連れてこられて、そこの日本語が堪能な医師 - 劉国英(笠智衆)や日本人の外科医の宗方(鶴田浩二)の下で看護婦として働くことになるのだが、捕らえられた際に抵抗した父を銃殺された恨みをもつ女学生たか子(団令子)とか軍に取り入ってうまくやろうとするずるいのとかいろいろいて、宗方は医師としての腕はよいが医療用アルコールでアル中状態で、そのうちたか子は彼女を想う兵卒と脱出を試みて追い詰められて心中したり、みんなでこっそり卒業式をしていたら中国兵に絡まれて生徒を逃がしたとみ子がレイプされてしまったり、宗方の自殺した妻も同じ事情だったり、戦時だから/負けて囚われの身だから/女性だから、とはいえ酷いことばかりが起こったり明らかになったりしていってしんどい。
やがて八路軍が国内の内戦事情に圧されて撤退するかも – その隙に旧日本軍のいるところまで逃げのびることができれば一緒に帰国できるかも、という話がきて実際に病院周辺の出入りが騒がしくなって、そこに賭けよう、って全員で脱出計画を練るのだが、肝心なときに宗方が呼びだされて..
そもそも異国に招集しておいて負けたから(女子供を)捨てて逃げる、っていう初っ端から酷いし怖い話なのだが、そういうことをする連中だからな、とかそういうのは置いて、敗戦直後の日本に帰っても混乱と貧困でめちゃくちゃだぞ、って言われて、それでも自分たちは国に帰りたいのだ、って返す辺りはそうなのかー とか(自分だったら自分を捨てた国なんて捨てる)。 やっぱり「家」なのかねえ。
最後の脱出劇の手に汗握る展開 – 束になって追ってくる敵軍とか間一髪の橋の爆破とか泣き叫ぶ(ことしかできないよね)原節子と最後にかっこよくなる鶴田浩二の悲痛な別れなどがたぶん見せ所だと思うのだが、ここで逃げたとしてもみんなあの後どうなったかわからんしー、とかいろいろ思ってどんよりしてしまうのだった。
国とか民族の起点の話から始めても、そこに被害者/加害者の議論を絡めても、終わってからの責任の議論にしても、これらは歴史学や倫理学が積み重ねつつ(善悪を棚上げにするのではなく)議論すべきことなので置いておくとして、ここに威勢よい活劇や自己犠牲の尊いドラマや辛く悲しい別れのドラマ、などがいっぱいありそうなことも十分わかるのだが、いまはとにかく暴力とか人殺しはどちら側の矢印であろうとぜったいにだめなのだ – だからその銃を下して、逃げて、逃がしてあげて、ってそればっかり思っていた。 こういうのを鑑賞するのによい頭の状態ではなかったのかも。
それにしても原節子はすごいなあ、って。鶴田浩二にくらわすビンタの分厚くて痛そうなことときたら。
そして中国語訛りの日本語を喋る笠智衆も、その佇まいがぜんぜん変わらなくてすごい。ふたりが絡むシーンがあればよかったのに。「先生、一緒に逃げましょう!」「いや、いいんじゃよわしは..」とか。
数年ぶりの花粉が。映画とか本はすぐ忘れるくせになんでこういうのは忘れてくれないの..
3.07.2022
[film] 最後の脱走 (1957)
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