3.05.2022

[film] Lamb (2021)

2月26日、土曜日の晩、MUBIで見ました。
原題は”Dýrið” - "The animal"。アイスランドのValdimar Jóhannsson監督によるアイスランド、スウェーデン、ポーランド合作映画。脚本は監督とBjörkの作詞家であるSjón の共同。2021年カンヌのある視点部門に出品されてPrize of Originalityていうのを受賞している。変てこ民話ホラー。

アイスランドの辺境の原野で羊の農場をやっているMaría (Noomi Rapace) とIngvar (Hilmir Snær Guðnason)の夫婦がいて、言葉少なく淡々と羊の世話をしていると、ある日ある羊から生まれた子羊を見てあら! ってなって、この時点ではそれがどういうものかわからないのだが、その子羊はなにかしら特別なやつらしくヒトのベビーベッドに寝かされて、どういう事情があったのかは不明だが彼らの亡くなった子供の名を貰ってAdaと呼ばれる。子羊から引き離された母羊は窓の外でずっと鳴いて呼んでいるのだが、Maríaは彼女を遠くに連れていって撃ち殺して埋める。

やがてIngvarの兄で、元ポップスターで行き場を失ったPétur (Björn Hlynur Haraldsson)が農場に現れて、そのテーブルにAdaが呼ばれてその姿が明らかになるのだが、なんだこれ?って。 頭は羊で、体はヒトで、左手はヒトで、右手は羊で、危なっかしいけど直立して歩いてきて、カラフルな子供服を着ているのがAdaなの。夫婦にとってはかわいいだろー? なのだが、いきなりこれを見たら「お..ぅ?」しかないかも。

全体として暗く荒涼とした土に風と雪と羊がぼうぼう湧いているだけのような土地で、ヒトの反対側にどんな化け物や怪物が現れてもおかしくなさそうな不気味な雰囲気だけはずっと吹きまくっていて、そういうところにこれまで見たことがない – いや、部分部分は見たことある、半々にミックスされた生き物/動物が現れたとき、それはヒトにどう見えて、どう扱うことになるのか。

実際にAdaとの間に意思の疎通のようなものがあるのかないのか、わからないのだが、どうもふたりの挙動 – それを大切にして守ろうとしている - を見ているとなにかを受けとっているようでもあり、あとから来たPéturも彼らと同様の状態になってしまうところを見ると、聖なるなにか - キリスト教のはある- なのかも知れずー とか思っていると最後に。

たぶん羊というのが絶妙で、頭が牛や馬だと漫画になっちゃうし山羊やロバだとどうしても笑っちゃうし、熊だとパディントンだし、羊の笑っているのだか怒っているのだかのあの目の不気味さが救いようのない曇天や雪嵐のなかで映えるのだと思った。のと、村上春樹の『羊をめぐる冒険』の「羊」はあるのかないのか(ある気がする)。

続編、作られないかしら? というかサーガにできるよこれ。Mariaから始まっているし。


Cow (2021)

2月13日、日曜日の夕方、MUBIで見ました。
英国のAndrea Arnold - ル・シネマの配信で少し前までやっていた”Wuthering Heights” (2011) - 嵐が丘 - の監督 - による最初の長編ドキュメンタリー作品(短編のドキュメンタリーはMUBIで見ることができる)。

タイトル通り農場で飼われている乳牛 - そのうちの一頭にフォーカスしてまずは彼女が子牛を産むところから。関係ないけど英国で暮らしていろんな映画やTVを通して、牛・羊・山羊の出産シーンをものすごく沢山見ることになった気がして、たぶん簡単なお手伝いならできる気がする。

母牛は産んだ後、後産のをずるずる引き摺りながら通常の機械による搾乳のサイクルに戻って少し落ち着いたら再び種付けがあって妊娠させられて、子牛の方は機械による授乳と耳にタブ付けられたり角のところを焼かれたり、母牛はまた子牛を産んで - また雌を産んだので誉められるのだが - やがて病気なのか乳がものすごく膨らんで辛そうになって、なんとかしてあげないと、と思っていると最後に。

機械化されたごく普通の酪農現場の光景で、それをやっている人々の姿はぼんやり映ったり言葉も聞こえたりするがカメラはずっと母牛と子牛たちの顔やお尻を追っている。農場で流れている軽いエレポップ(ぜんぜん知らない)のようなのが聞こえる。

農場の物言わぬ動物たち、というとViktor Kosakovskiyの”Gunda” (2020)を思い起こしたりもするが、あれよりもヒトの傍で使われて搾られて捨てられるだけの彼らの過酷な姿を映しだす。過酷 - というのは見ている我々がそう思うだけで、こんなのは酪農家にとってはごくあたりまえの通常業務なのだろうな、と思ったときに牛の、牛たちの目が。特にあのラストの。

この泥にまみれた投げやりな目線、これがこちらに投げかけてくるものは”Wuthering Heights”にもはっきりとあって、そのうちぜったいばちが当たるぞ、というより、もっと自分以外のヒトや生き物に謙虚にならないと - なれないとしたらそれはどうしてなのか、って問う。おいしい食べ物やスイーツをおいしい〜 とか言う前に。 特に奴隷農場を平気でやっている日本の ー 。
 

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