年を越すというのがなんか特別なことらしくみんなばたばた楽しそうに締めたり備えたりするのを横目で眺めて、ふん!そんなことするもんか、ってなにもしないままぼーっと過ごしてそらみろあーあ、ってやるのが恒例となっている大晦日の過ごし方で、でも昨年の暮れは誰が見たって様子が違う異常事態だったので、でも動いちゃいけないことだけは確かだったので、あたまのなかのコタツに足を突っこんでぶつぶつ書いていた。
いまのにっぽんはというと、一応いろんな宣言は解除されてどこにでも行けるようになっている反面、昨年の英国の、クリスマス直前にしおしおとロックダウンに向かっていったあの状態になんだか似ている。いくらやめてー、って言ってもどうしようもないあれをまた繰り返すことになるのか。解除したり緩めたりすれば感染は拡がる、いまのヨーロッパを見てもあったりまえのことなのだが、わかっちゃいるのにひどい。だれが、なにがひどいのか、政治なのか自然なのか、はあんまよくわかんないままに。
英国でワクチンが承認されたのが昨年の12月の初めで(まだそんなもん)、そのお陰で死者や重症者の数は目に見えて減ってきたものの、それでもまだ人は亡くなっているし、感染するとその周辺への打撃は決して小さくないし。だから決して常態に戻ったわけではない、自分のふるまいが見えないところで惨事に加担しているかもしれない、という意識はずっとある、けど映画館には行ってしまうので.. だめだねえ、って。
表面はひどかった昨年の暮れとおなじくずっとひどいままが続いている、という認識なのだが、今年の方が特段にひどい気がする(個人の感想です - “Death to 2021”見てもそんなかんじ)。本当にさいてーの、長くてしんどい泥沼の1年だった。 5月に帰国して隔離後にこっちの会社で働きはじめて、船便が届いて、でもいまだに開いた箱は2/3くらい、適応できたアタマは半分くらい、床をなんとかしないとなー。でも床は勝手に動いたり広がったりしてくれないしなー。
帰国した直後のあれもいやだこれもいやだ、の(帰国駐在員によくある)不適応症のどんよりと、にっぽんという国があきらかに貧しく幼稚に下品に転げ落ちていくその最中にやるとは思わなかったオリンピックが開かれ、それに続くコロナの自助/棄民政策などで、どれだけ書いてもしょうがないことだけど、ほんとしみじみこの国(の語る欺瞞だらけの未来)が嫌で嫌で出ていきたくなって、でもいま脱出する術は限られているので、ひとはこれを地獄とよぶ。
なので、死なない程度に生きておいて、そこで残された僅かな力とその使いようでいつでも脱出できるように自分と半径10メートルを生かしておく、そこに注力してその知恵と勇気を蓄えたりスイングしたりできるように映画をみたり本をよんだりを繰り返す、そのペースは掴めてきたかも。 でもそれにしても会社員の通勤て、改めて奴隷キープのやり口としか思えなくなってきたねえ。
そしてこれらの反対側とか裏側にはすばらしくまじめできちんとした人々が大勢いて、その人たちに支えられてきたのだなあ、というのをものすごく感じたことも確か。一時帰国のときによく感じるあれにも近い、少しぐしゃぐしゃしたありがたみと感謝の思いと。
そういう両端で揺れているふりをしつつ、結局お片付けはほぼあんましやらないままー。
31日、大晦日なのでできるだけ怖いのを見たくて、最後に映画館で見たのは”Tragedy of Macbeth” (2021)で、帰ってからなんかもの足りなくてMetrographのストリーミングでJean Rollinの”Night of the Hunted” (1980) - 『猟奇殺人の夜』も見た(これはよかった)。あと、恒例のNetflixの”Death to 2021”も。
久々なので紅白とか見てはぁぁー、ってなっていた(きもちわるくなると隣のクラシックに替える)。とにかく「おかえりモネ」の主題歌の冒頭でなにを歌っているのかがわかったのでよかったことにした。
みなさまよいお年を。 これから2021年ベストの選定にはいりまー。