6.23.2014

[music] Cat Power - June 22 2014

22日の午後、新木場に行って3本立て見ました。 「婦警ジョーン」-「雲無し」-「猫力」。
3日前くらいに気づいて慌ててチケット取った。

PILの初来日公演(中野サンプラザ)からちょうど31年 …とか言われて壁にあたまぶつけて死んでたのでよい気晴らしになりましたわ。

Joan As Police Woman
Joan WasserさんのソロはThe Stoneとかで見ていた(調べたら2009年6月だった。5年前… )が、バンド編成で見たのは初めてだったかも。
彼女を入れて4名。 ベースはMoogでドラムスを含め、重心はどかどかずっしり低く重めに、その上に滑らかでこれも厚めのキーボードとギター。 全体のかんじはブルージーに沈みこんだR&B - ソウル。

Joanさんは曲によってキーボードにギターにヴァイオリンをとっかえひっかえ、でもなんといっても揺るがないヴォーカルの深さと艶がすべてで、これなら2時間だって気持ちよく聴いていられる。

Cloud Nothings

まだ新譜は聴いていない。 その前のAlbiniさんプロデュースのは聴いた。
開演前のリハ、ドラムスの出音が道路工事現場のようなけたたましさで、これは絶対すごいはず、と思ったら確かに。
3ピースが中央にこじんまりとした三角を描き、殺風景で愛想も愛嬌もなし、音の重さとかエッジとか技術とかよりも、道路工事の実直さと執拗さで地面を掘りまくってその破片をこちらに飛ばしてくる。 それはフォーマットとしてのパンクが煽るもの、高揚させるものとは全く別の力が内臓の奥で弾けて蠢いているような。 

Buzzcocksの後に現れたJoy Divisionは、例えばこんなかたちを取ってもおかしくなかった。たとえば。 それが米国のハードコアとポストロックとグランジを経由してこんな形をとって2010年代に現れた、という道、をおもったり。

ラストの”No Future/No Past”、地面にばしゃん、と垂直に落ちるドラムスの気持ちよかったこと。

Cat Power

2013年の1月、“Sun”のリリース直後のTerminal 5のライブを見て以来。バンドも配置もあのときと同じ。

時間通りに始まるのがおきまりなのに15分過ぎても出てこなくて、あーはじまったよ猫が、と思って、でも出てきたらぺこぺこお辞儀しているからご機嫌は悪くなさそうかも、て少し思い返し、だがやはりそんなに猫は甘くないのだった。

溜息にも似た声を吹き出せば素敵なのに曲間とかぜんたいの構成はぐだぐだで、帰ってしまう人々 - 特に外国の方 - 多数。 途中でどんな顔してやってるんだか見たくなって前のほうに降りてみる。

顔を見るとやっぱし引きつっててなんか頭が沸騰しているふうだった。
「ねえねえふつう財布に切手とか入れてるよね? 急ぎで手紙だしたりするとき用に。でもこないだみたいにGovernment Shutdownがあるとそれもできなくなっちゃうじゃん、Emailだけ、とか(中指)」みたいなことをぶつぶつ呟いていたので、たぶんなんかのコミュニケーションでなんかあってあったま来たのかもしれないねえ。

おもむろにギターを手にして”I wanna be your dog”をじゃかじゃかかき鳴らし、その流れのままあーうっとおしいぜ、てかんじで”Metal Heart”に突入したとこなんて殺気に満ち満ちてほんとすばらしかったのになー。

そのうちバンドが勝手に主導権とって演奏を進めるようになり、それに気づいた彼女は「あたしゃ馬車馬かよ」みたいに後ろに悪態ついたりしていたが、それでも最後の”Ruin”とか、やっぱしいかったよ。

“あたしらなにやってんだろね? 瓦礫の上に座ったりしてさー♪”

NYで見たときは随分素直に、エンタメするようになったもんだねえ、と感心したものだったが基本はやはり変わっていないのだった。 でも世の中にはこんなライブだってあるし、あったほうがいいのよ。 ライブなんだからさ。

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