6.25.2014

[film] Götter der Pest (1970)

21日の土曜日、渋谷ではじまったファスビンダー映画祭から、まずは2本。

チケット並びそうな予感があったので、昼くらいに行ってみたらやはりなかなかの列ができていた。
ファスビンダーがようやく受け入れられるようになってきた、とかそういうレベルではなくて、みんな必要としているんだとおもう。 ファスビンダーの映画の逃れようのない暗さとか泥沼とか退行とかそういうのを。 人を元気に高揚させるのは簡単だが、おっことすのは難しくて、ファスビンダーの映画は見事にきちんとしたマナーで突き落としてくれるように思う。

「悪の神々」。英語題は”Gods of The Plague”。

フランツ(ハリー・ベア)が刑務所から出所するところから始まり、彼がカフェに入って電話かけたりして、彼を待っていた昔の女(ハンナ・シグラ)と再会して、でもうまくいかなくて、結局昔から付きあっていた悪い連中と再会して悪事を練るのだが、それが昔の女から警察に密告され、たいしたこともできないまま夜のスーパーマーケットでやられてしまって、救いなし。 それだけ。

フランツ自身から「フランツ・ビーバーコップ」の名前が出たりもするし「ベルリン・アレクサンダー広場」の中のいちエピソードみたいに見えないこともない。 刑務所から出てはみたものの、まっとうに生きる更生するなんてこれっぽちも気配なしやるきなしで、結局いつかきた道、悪い連中のサークルのなかにぐだぐだと巻き込まれていって、でも悪いことやっている自覚もないし実際やってもいないのに、あいつだ!て指されて撃ち殺されて後にはなんにも残らない。

こんなふうな生のありようと共に「悪」とか「罪」の居場所みたいなことが壮大かつ饒舌に語られるのが「ベルリン ... 」だとすると、これをとってもコンパクトに複数の女、複数の悪友とか、悪巧み、共謀とか復讐とか、極悪ではなくプチ悪だけどどっちにしてもどんづまりの袋小路のなかに描くのがこれ。 例えば、その反対側にありえたかもしれない真面目な生活とか善きひと善きこころ、とか、そんなのは初めからないんだわ。

ギャング映画でもファムファタールでもノワールでもない、どれにしたっていまいち中途半端で、どの場所に置かれてもうまくやっていけそうにない主人公が出所後、一瞬ふんわりと宙に浮かんだ数日間の記録。 焦点の定まらない青春映画として見るのはありかもしれない。

フランツが田舎の隠れ家に向かうときのゆったりとした空撮とか、唐突に始まるとっくみあいとか、ひつじへのアタックとか、どうでもいいおしゃべりとか、そのどれも本気じゃない投げやりな距離感がなんか素敵で、決して明るくない結末なのに妙にさわやかなのだった。 この辺はファスビンダーに共通する空気、でもあるの。

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