3.07.2011

[film] Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (2010)

土曜日は髪を切ってからどっかに行こうと思ったら見たいやつはどれも時間が中途半端で、タワブク行って、タワレコ行ったら終わってしまった。

タワブクではMOJOの"Queen is Dead"25周年特集買って(おまけのCDえらい)、タワレコではThe Fallの"The Wonderful and Frightening World of The Fall"4枚組(はなんであんな安いの?)とか、Tim Buckleyの1stとか。

で、日曜日にみたのがこれ。 『ブンミおじさんの森』

海のむこうのFilm Forumでもほぼ同タイミングで上映がはじまった。よいこと。 

いろんな意味ですごい作品でまだごにょごにょ考えているのだが、カンヌのパルムドールは当然。
それくらい裾野のでっかい作品。

あぴちゃぽん。 (言ってみたかっただけ)

Apichatpongといえば、昨年BFIでリピート上映していた"Phantoms of Nabua"(2009)が本当にびっくりだったの。夜中に幽霊がでてきて火の玉(人魂?)でサッカーをする。それをごくふつうの自然現象みたいに淡々と撮っていた。

今回もその尋常とは思えない平熱感が全編を覆って、びくともしない。 

タイの山奥で農村をやっているブンミおじさんは腎臓の病気で透析とかを受けてて、先が長くないことがわかっていて、妹がその介護にやってくるところからはじまる。

みんなで食事していると19年前に亡くなった妻がでてきて、行方不明になっていた息子もでてくる。 そう簡単に出てくるはずではないものが、ふつうに家族の食卓にでてくる。
落語とか昔のダウンタウンのギャグみたいにして、でる。

霊は場所ではなくて人に憑くのよ、と死んだ妻はいう。じゃあ俺が死んだらどこで、どうやって君に会うことができるんだ? とか。 いちいちおかしいし。

なんか笑っては負けという気がするので、そのままにしておくとその幽霊だか亡霊だかしらんが、はごく普通にそこにいて、周囲になじんでいる。
そのなじみっぷりから、ブンミおじさんは死が近いのだな、ということがわかってくるのだが、その受けいれる態度と彼の死を通して、死そのもののありようを淡々と、しかしじっくりと追っていく。

そのじっくりが114分。途中、しゃべる魚と王女の話とかあったりするし、もっと時間をかけて語るネタが用意されていた気もするのだが、とりあえず ー。

それを、死や魂のありようを、東洋とかアジアとか、その農村とか森とか自然とか、ローカルなエキゾチックなネタとして局所化していくのではなく、現代の我々にもふつーに現れてくるそれとして、描いてしまうこと、それができてしまうことの驚異。

昨年のカンヌの審査委員長であったTim Burtonにこの作品を"Surprise"と言わしめたのはそこだったのだろうし、ここには例えば彼の"Big Fish"が西欧的な法螺話というかたちでしか実現できなかったなにかが(それでも十分だったし、大好きだけど)、軽々と乗り越えられていることがわかる。 大騒ぎも大泣きもなく、たんたんと。

我々の生は前世からぜんぶ繋がっているし、死の迎え方はカルマによって決められている、それをアジアの森の風景と、彼の加担したカンボジアの虐殺を並列に置いて語ること。
この作品の裾野の広さと凄まじさ、というのはそこにあって、確かに、我々はこれと同じような物語を、例えば水俣で綴ることができるのかもしれない。 
或いは、911で、アフガンで、イラクで --- (?)

そういうのもあるし、或いは単に、これは実写化不可能といわれた(笑)坂田靖子ワールド(最近のはしらないけど)がついに、まるごと映像化された、と言えるのかもしれない。 案外まじで。

おじさんの死後に展開される世界は、いきなり黒沢清になったりするし。ごくふつうに。
そこもまた。 ね。

というわけであぴちゃぽんすげー、と言って外にでて、そのままロゴスに下りて、丁度世界文学全集から出たばかりの石牟礼道子の『苦海浄土』を買おうかどうしようか迷ったのだが、重そうだったので今度にすることにして、文庫になった「ちびねこ絵本」だけ買って次に行きました。

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