そろそろリハビリを始めねば、ということで金曜日の晩、ほんと久々にユーロースペースに行って見ました。 メンバーシップも切れていたので深く考えずに更新してしまう。
『トスカーナの贋作』。
原題は"Copie Conforme" - ほんもんの贋作、ていうことね。
たしかにトスカーナを舞台にした中年男女の出会いの物語ではある、が、「トスカーナ」から連想されるような美しい風景、おいしい食事、ロマンチックなあれこれ、はなにひとつとして出てこない。 ひとは絶えずごちゃごちゃ、どこに行っても結婚式でどんちゃん騒ぎだし、やっと入った食堂のワインはひどいし、給仕はつかまらない。
そういうなかで描かれるとてつもなくしなびてひねくれたBoy Meets Girl、のおはなし。
中年の作家(James Miller - 実にどうでもいい名前)が自作のプロモーションをしている会場に子連れのJuliette Binocheが現れて、彼の話を聞いてちょっと興味をもって、コネを使って強引に会わせてもらうの。
この時点からBinocheのかんじ悪さがじゅうぶんに際立つ。
最前列に席を取っておいてもらったくせに遅刻して講演の途中から平気で入ってくるわ、子供の相手が忙しくて話ぜんぜん聞いてないわ、結局子供に負けて途中で出ていっちゃうわ、いるよね、こういうおばさん。
で、この傍若無人B型おばさん的振るまいはこの後も続いていって、作家を自分の営む骨董屋に呼びつけるわ、車で案内するから、と言って車に乗せた途端、本にサインして、と6冊分どさっと渡すわ、作家の話を適当に曲解してべらべら自分の見解ばっかし勝手に述べまくる。
いるよね、こういうー。
でもふたり共おとなだから、時折気まずい沈黙を挟んだりするものの、むくれたり怒ったりはせずにとりあえず一緒にいる。どうせ午後9時には発つんだしね。
そうしているうちに、たまたま入った茶店のおかみに、夫婦に間違えられてしまい、Binocheはおばさん的ずうずうしさでもって、あらやだ間違えられちゃったわ、とかはしゃぎつつ、ねえちょっとそんなふりしてみない、と言ってみる。
彼のほうは戸惑いつつも拒絶することもないか、程度に合わせて行くことにする。おかみに言われるままに肩に手を置いてみたりして。
そしたらBinocheの暴走が止まらなくなって泣くは笑うは気がふれたんじゃないかとおもうくらいすごいことになって、最後は電動ノコを手に… (うそです)
作家が最初に語る自作の話、というのは永遠に輝く真作よりも美しい贋作を愛すべし、とか、その延長線で人生は楽しまなけりゃだめだ、とか、いかにも中年作家、五木寛之か渡辺 淳一か(どっちも読んだことないけど)、てかんじの含蓄に富んだ、それゆえにおばさんのてきとーな解釈の餌食にあいやすいようなそれで、二人のずるずるした会話はまさにその半端な世界観の狭間でどうでもよく勝手に揺れまくるの。
そいで、その揺れは「贋作」であるはずのふたりの偽りの関係をほんの一瞬はあるが輝かせてしまう。 そこに生まれる微妙な戸惑いと誘惑と目眩と。
とにかくおばさんBinocheがすごい。
真正面からの切り返しにびくともせずに、あらゆる感情のモードを全開にしてカメラのむこう側に迫ってくる。 しかも、あたしを見て、愛して、のごりごり猛進だけではなく、彼女自身の逡巡のなかで時折見せる脆さ - もちろんこれだって計算ずくなのかもしれないが - とのミックスのなか、その生々しさは半端じゃない。
それに応える作家役のWilliam Shimellも、なんかよい。
Jeremy IronsとGeorge Clooneyを足したかんじの渋いおじさんで、本業はオペラ歌手らしいが、ぎこちないかんじがよい方向に効いている。
このふたりが石段に座ってこれからどうしよ、てかんじでぐにゃーん、となるところがすごくよいの。 うそでもほんとでもなんでもいいや、って。
あと、Jean-Claude Carrièreさんがでてくる。
こういうテーマの作品にでてくるところがまたこのひとらしい…
えーとにかく、すんごく素敵なおとなのおはなしでしたわ。
ほんのちょっとロメール、もあったかも。
3.05.2011
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