10月7日、木曜日の晩、London Film Festival (LFF)のストリーミングで見ました。
今年のLFFのストリーミングの枠は泣きたくなるくらい規模が小さい(泣)し、時差で難しいのも多いのだが、ドキュメンタリー作家Mark Cousinsさんの作品が2本ある。ふたつ纏めて書こうかと思ったのだが、もう1本を見て、分けた方がよい気がしたのでまずこの1本から。日本で公開されることはまずないじゃろうし。
映画プロデューサーJeremy Thomasが毎年カンヌ映画祭の季節に映画祭に出るために英国からカンヌに渡る - 2020年のカンヌに参加するその車にMarkさんが同乗して(車を出すのも運転するのもJeremyの方)助手席からいろんなことを聞きつつナレーションしていくロードムーヴィー&ドキュメンタリー。で、この作品も2021年のカンヌに出品されている。
Jeremy Thomasの仕事に詳しいわけでもないし、もうとうに亡くなっている人かと思っていたくらいだし、そんなに見る必要も感じなかったのだがTilda SwintonさんとDebra Wingerさんがでてくる、というので見る。
Weinsteinの事件以降かそのもっと前からか、プロデューサーの名前で映画を見にいくことは減ったような気がする。宣伝文句には入っていても実際のクレジットを見るとものすごい束の「プロデューサー」が名を連ねていて会社運営のようだし、王様とか君主のように映画制作の頂点にある絶対権力者としてのプロデューサーの時代ではなくなっているのではないか、と。(Mark CousinsはフィルムのなかでJeremyのことを「プリンス」って呼んだりしているけど..)
ドーバーの近くの彼の自宅を出て車ごとフェリーに乗って海峡を渡り、ヨーロッパ大陸を南下していく。途中で二次大戦時に大量のユダヤ人を送り出した駅とかリュミエール兄弟が”La sortie de l'usine Lumière à Lyon (1895) - 『工場の出口』を撮った - 現在は博物館 - とかヨーロッパ史/映画史の重要な地点を通過し、その地点ごとにそれらの歴史を描いた映画史上のクラシック(”The Passion of Joan of Arc” (1928)とか)をプロットし、主に80年代以降、彼が制作した映画68本からのクリップを並べていく。
頻繁に引用されるのはBertolucciの諸作 – “The Last Emperor” (1987)、“Sheltering Sky” (1990)、Roegの”Bad Timing” (1980) - 『ジェラシー』、 Cronenbergの”Crash” (1996)とか大島渚の諸作とか。各作品の制作意図やそれらに込めた思いが語られるわけではなく、どちらかというと彼が制作した作品に表出した異国や異文化、異様に見えるなにか、情念 - セックス - 死、そして政治、等が切り取られ旅の景色と重なっていく。
カンヌに着くまで5日、カンヌ映画祭での5日間。彼は直近で制作した三池崇史の上映披露に立ち会って、彼の映画の魅力を力をこめて語る – ここはちょっとわからない(見たことないので) - で、うーんややわかんないかも、と思っているとTilda先生が現れて自分でカチンコのポーズをやって区切ったりしながらJeremy Thomasとは、について語ってくれる。
彼はアウトサイダー・アーティストとしてのWilliam Blakeの仲間である、と位置付ける。その生粋の英国人気質ゆえに一般の意識からは外れてしまったもの - 道徳的な感性の頑強さと視野の深さ、それ故の罪に対する意識の高さ - そこに行ってそれを見つめて、それがなんなのかを表に出し、ロマンティックなやり方でそれを保ち続けようとすること。彼は海賊なのだ、と。全てをこの陸の上でやりとりできるわけではない我々が必要とした海賊の強さと誇りを示し、我々にも海賊であれ、と言うのだ、って。
それを受けるかたちでMarkは、彼の作品を英国のラディカリズムの系譜上に位置付ける - Blake、J.M.W. Turner、Virginia Woolf、『赤い靴』のMichael Powell、Francis Bacon、Malcolm McLaren - 映画界のMalcolm McLarenなのではないか、と。
旅の終わり、『戦場のメリークリスマス』のピアノがメランコリックに流れてきてずるいや、と思ったけど、通して振り返るとなんかよかったかも - でもまだ考え中。
10.13.2021
[film] The Storms of Jeremy Thomas (2021)
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