2.28.2021

[film] めし (1951)

2月4日、木曜日の夕方、Criterion Channelで見ました。英語題は”Repast”。原作は林芙美子の未完の遺作。

Netflixで成瀬巳喜男の5本が配信されると聞いて、そういえばCriterion Channelで見たのを書いていなかった、って。 成瀬のはBFI Playerでも3本配信されていて、CriterionではNetflixでかかるのに加えて他にもいっぱい見ることができる。これまでも『生さぬ仲』 (1932) - “No Blood Relation”とか、『妻』 (1953) - “Wife”とか、『晩菊』(1954) - “Late Chrysanthemums”とかを見た。日本にいた頃から見てきたものでも、何度見てもおもしろいわ。

戦後間もない頃の大阪の南の方に結婚して5年になる岡本初之輔(上原謙)と三千代(原節子)の夫婦と猫のゆーり(尻尾が短くて最初に屋根の上にいるのは別の猫よね?)が暮らしていて、ふたりは大阪に来て3年になるのだが三千代は既に疲れきっていてうんざりで、冒頭の独り言ではこんなふうに;

With a life restricted to the kitchen and the family room, must every woman grow old and die feeling empty..

なのに夫は顔を見れば「おなかがすいた」「めしまだか?」ばかりで、株屋なのに株をやっていない真面目さくらいが取り柄らしい。 そんなふたりの家に東京から初之輔の姪の里子(島崎雪子)二十歳が家出してきて、つまんない・結婚したい・したくないとか好き放題に撒き散らして、近所の遊び人(大泉滉)や向かいの二号さん(音羽久米子)と遊んだり、初之輔に大阪のバスツアーに連れてって貰ってべたべたして鼻血をだしたりする。里子の滞在はそれなりに手間もお金もかかるので、三千代はおもしろくない。

三千代は同窓会に出て昔の友人と会って毎日なにしてるの? って聞かれても猫かってる、くらいなのに、幸せそうとか言われてなんかすっきりしなくて、里子のことであれこれむしゃくしゃして「疲れちゃったんですわ」と、彼女を東京に帰すついでに自分も実家に帰ることにしてお金を借りてくる。で、実家に帰る、って言っても特に反対しないし見送りにも来ない初之輔に改めてがっかりする。

実家(矢向ってとこ)に帰った三千代はずっとごろごろ寝たり職安に行ってみたり友達(中北千枝子)と会ったり、これまでとは別の世界をゆったり楽しむのだが、母親からも父親からもそんなつもりないのに「帰れば」ばかり言われて「不幸な奥さん」とか言われるとそれはそれで頭にきたり、手紙を書くけど出さなかったりいろいろあるのだが、嵐が過ぎたある日に初之輔が現れて帰ろうっていうので、帰るの。たぶん猫のために。 ふたりで一緒に帰るときに、三千代の独り言で『わたしのそばに夫がいる - ひとりの男 - わたしの本当の幸福とはそんなものではないだろうか?』 とか言うのだが、そんなものではないと思うよ、って思った。

夫婦の修羅場のような場面も喧嘩の暴力もなく、日々のいろんな繰り返しや会話の積み上げがイライラを重ねていったり、反対にちょっとしたお出かけやチンドン屋や嵐やお祭りがそういう鬱憤を少しはらってくれたり、そんな潮の満ち引きとか月の満ち欠けみたいな描写がスリリングで、何度見てもあれはそういうことだったのか、のような発見があったりする。

「めし」っていうのは男性が女性に対して食卓でのご飯を要求するときに使う言葉で、女性が男性に「めし」いかがなさいます?とか「めし」できたよ、とかは言わない(たぶん)。そんなふうにサーブされて当然のものとして男性から女性に強いてくるあれこれの総体が(この頃の)結婚生活というもので、だから結婚の幸せ(するしないも含めて)問題がテーブルの上にあがるのは常に女性の側 - この映画でも上原謙はどこまでも無表情を貫く - なのだが、そういうことでよいのか? 「めし」って使うの禁止にするくらいじゃないとこの問題は解消していかないのではないか、とか。あとこれとセットになっている気がする「嫁」っていう呼び方とかも。

これが小津における「秋刀魚」や「お茶漬け」と同じ位置にあるものなのかそうでないのかは、たぶんとっくにどこかで誰かが論じているのだと思うが、基本はなめんなよ、っていうことに尽きるのではないか。 小津の映画の場合、日々緩やかに積み重なっていくなにか、ってだいたい画面の外で起こっていることで、それらは決定事項のようなかたちで会話のあいだに突然噴出してきたりする、そういう別の種類の面白さ。

「うなぎ」まむしの看板が字幕では”EELS - Pit Viper”ってなってた(わかるのかしら?)。「くいだおれ」は”Eat till you drop” だって。 今の大阪は世界でいちばん行きたくない土地だけど、この頃の大阪はおもしろそうだな。東京もおなじかー。

これは猫映画だけど、『晩菊』は犬映画だよね。
 

東京でやっていたGuy Gilles特集、見たかったよう。

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