2.28.2019

[film] A Private War (2018)

18日月曜日の晩、CurzonのMayfairで見ました。上映後にPaul ConroyさんとLindsey HilsumさんによるQ&Aつき。

シリアの惨状を綴った“City of Ghosts” (2017)など、これまでドキュメンタリーを中心に撮ってきたMatthew Heinemanが俳優を使って、2012年にシリアで取材中に亡くなったジャーナリストMarie Colvinの生涯を追った作品。 主人公が亡くなっていること、過去の各地の紛争のことも含まれるのでドキュメンタリーにするには無理があって、でもなんとしても撮りたかった人とテーマなのだろう。

The Sunday Times の記者Marie Colvin (Rosamund Pike)が2001年、スリランカの取材で銃撃を受けて左目を失い、それに起因するPTSD - 彼女は兵士ではなかったものの、実際の症状はPTSDで、PTSDの治療を受けていたのだそう- に悩まされながらもイラク等の紛争地域での取材活動は止めず行っては戻りを繰り返して最後にシリアに赴く。苛酷な取材の合間にはロンドンでの生活とかジャーナリストとして賞を貰ったりも挟まれるのだが、ずっと酒とタバコと男に荒れて溺れてなかなかしょうもない。ジャーナリストとしての使命、みたいな崇高さや正義感はあんま感じられなくて - 故の”A Private War”か - ドランカーとかジャンキーの強い目で紛争地域を求めて彷徨う姿が描かれている。確かにタガの外れためちゃくちゃな人じゃないとああいうことってやれないよね、という角度からの整合は取れているような。

ただ映画としてはやや冗長な構成で、Stanley Tucciとのエピソードなんかいらないんじゃないか、と思ったりもするのだが、たぶんMarie Colvinの実像を偽りなく、となるとこんなふうになってしまうのだろうか。

上映後にMarieと一緒に取材活動をしていた写真家のPaul Conroyさんと彼女の評伝本 – “In Extremis: The Life and Death of the War Correspondent Marie Colvin”をリリースしたLindsey Hilsumさん - 彼女自身もジャーナリストである -  によるQ&Aがあった。

映画ではJamie Dornan – “Fifty Shades ..”の彼ね – が演じていたので、こんばんわ映画よりも筋肉がなくなっているPaulです、とお茶目に挨拶をして、映画の最後 – 彼だけ生き残ったときに足に受けた怪我のこと(ぐしゃぐじゃ)とかから。

映画と実際の – 特に戦場での - 相違については、Marie以外はキャラクター的に束ねたり置き換えたりしたところが多少はあるものの、概ねあんなかんじで、特に前線で錯綜・混乱して動きようがなくなるところはまさにあんなふうだったと。おそらくあれよか酷いに決まってるけど。

Q&Aで印象深かったのは、若者がジャーナリストとして命の危険を冒してまで戦地に赴くことについてどう思うか? という質問に対して、ふたりとも言葉を選びながらも、世界の惨状を正しく伝えたいという若者の意思と勇気は尊重されなければならない、ああいう危険地帯で一番必要とされるのはまず医者で、その次にジャーナリストなのだ、その地域がどれほど酷く、人々が苦しみと危機に晒されているかを正確に伝えられる者がいなければ、世の中は真っ暗のままでいつまでも救われることがないままになる、それっておかしいよね、と。本当にそうだと思う。だから日本政府が査証を発行しなかったと聞くと、独りよがりもいい加減にしろよ、自国民の外への目を塞いでおいて自分たちは美しい国だとか、頭おかしいんじゃねえのか幼稚なナルシスト(そっかパパたちに倣って侵略戦争したいんだもんね、あいつら)、って。結局メディアが劣化したから萎縮したのか萎縮したから劣化したのか、それとの表裏なんだよね。
Marieが頻繁に感じていた吐き気もそういう連中に対してのものだったのではないか。
(あ、あの意味不明な自己責任うんたらも違うから。こんなの全員で責任とるに決まってるんだから)

あと、これもふたり揃って言っていたのだが、Marieのユーモアのセンスってすばらしかったって。そうだろうなー。

Marieを演じたRosamund Pikeの内側から湧きあがるようなしなやかさと目の強さがすごくて、あと最後に同様に強い女性ヴォーカルが聴こえてきて、これ誰? と思ったらAnnie Lennoxさんだった。祝復活。

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