4.18.2015

[film] Mes séances de lutte (2013)

見る時間も書く時間もない。 物理的にない。ありえない。

11日の土曜日の午前、渋谷で見ました。
「ラブバトル」英語題も“Love Battles”。
おもしろかったねえー。 こんなおもしろいやつずっと放置していたなんて。

並んでやってる「神々のたそがれ」とおなじ泥仕合映画なの。

お天気のよい田舎道、ドビュッシーの「子供の領分」のつんのめるようなピアノに乗って、、向こうからすたすた歩いてきた女(Sara Forestier)がそこにいたむさい農夫の男(James Thierrée)に話しかけて、二人は昔から知っていていろいろあったようで、微妙な空気が流れる。 ふたりの会話から、女は父が亡くなってその葬儀のために帰省してきて、過去にいろいろあったその男とかつてのあれこれをしみじみ振り返る - というよりわざわざ蒸し返そうとしているようで、男はそんな過去にこだわって噛みついてくる女に戸惑いを見せながらもあれこれ応える。

女は遺品整理で貰えると思っていた思い出のピアノを貰えずに姉とぶつかってあたま来ていて、そういえば父はぜんぜんあたしのこと愛してくれなかったとかぶつぶつ言い、男に対しては昔Tシャツ一枚で夜這いに来てやったのにあなたは手を出そうとしなかった、とか、要するになにもかも逆恨みの困ったちゃんなのだが、いちばん困るのはそういうのを男にきーきーぶつけに来ることなの。

男はうるせえいいかげんにしろ、って扉を閉めて追い出しちゃえばいいのに、そうはせずにやり返したりしているうちに初めは言葉の応酬だったのが押したり引いたりのどつきあいになり、男はあきれて「おまえなにしにここに来てるんだ?」とか言うものの、やがて戦いのゴングが鳴る(鳴らないけど、なんか聴こえる)。 でも殴ったり蹴ったり噛んだり刺したり、流血や失神はなし、武器も器具もなしで、押しては引いてこずいたりどついたり組みあったり、要するにダンスやタンゴのコレオグラフのようで(むかし見たJiri Kylianにこんなのあったような)、この戦いのPas de deux は、日をまたがってラウンド6とか7くらいまで続いて、どれもスリリングでおかしくて、カメラはレフェリーの目となって取っ組みあいをえんえん追っかける。

で、どろどろの取っ組みあいの果てにあるのは愛か別れか死か生か、たぶんどれが来ても不思議じゃない、そんなふうな妙な切なさと徒労感が残って、これって恋愛のそれか喧嘩のそれか、とかちょっと考えてしまうの。

台詞がよくてねえ。「あたしがあたしの愛のすべてをあなたに注ぎ込んだら、あなたは壊れる」とか「ペニスと毛皮だけ」とか「闘いはタンゴのように無言で。しゃべりすぎ」とか。

パート2とかやらないかしら。 「還ってきたラブバトル」、とか。

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