5日の日曜日、日本橋で「小さな恋のメロディ」が終ったあと、渋谷まで走って12:30の回に駆け込んで、見ました。
最近はぜんぜん追えなくなってしまっているが、昔は毎週正座して『ファッション通信』を見て、HF誌を読んでいたので、その雑巾みたいなナリでよく言うわ、と言われたってこういうのは大好きだから見る。所謂ストリートファッションにもファストなんとかにもスナップにも全く興味はないのだが、こういうのはアートの一種としてぜったいおもしろいんだから。
2012年4月、John Gallianoの狼藉により空席となっていたDiorのCreative Directorの座に指名されたRaf Simonsのパリコレまでの8週間を追ったドキュメンタリー。
Jil Sanderのメンズでミニマルでシャープなスーツなんかをやっていた(かっこよかったよねえ)彼はオートクチュール未経験で、ベルギー生まれでフランス語もあんまし、でほんとうにできるのかやれるのかどうするんだろ。
ついでに、Raf Simonsが昔やっていたのは、例えばこんなことなの。 いいやつかも。
http://agnautacouture.com/2015/02/15/raf-simons-inspired-by-richey-edwards-ian-curtis-kraftwerk/
困った彼はポンピドーにGerhard Richterを見にいって、でもRichterだと版権料高すぎると思ったのかカリフォルニアのSterling Rubyに流れてあのだんだら色を布の上に再現したい、ていう。
で、そういう無茶をアトリエに投げてプロジェクトなんとか風の苦労話が展開されるだけならおもしろくもなんともないのだが、映画のタイトルにある”Dior and I”の”I”ていうのが 30 Avenue MontaigneにあるHouse of Diorに夜な夜な現れて、昔の映像と共にぶつぶつなんかいうの。
それはDiorの亡霊かもだし、館の霊かもだし、地霊かもしれないのだが、とにかくそれがDiorの美とその歴史を司っていて、へんなもん出しやがったらただじゃおかねえ、とは言わないけど、いまの”Dior”であるRaf Simonsとアトリエの作り出すクチュールになんか魔法をかけるように見える。
いや、もちろんそれなりの苦労話も描かれて、職人ひとりひとりの奮闘もおもしろいのだが、それは千手観音としてのDiorの手の一本一本なの。 そういう手に支えられてRaf Simonsはびくびくおどおどしつつもとにかくパリコレ初日までたどり着く。
監督のFrédéric Tchengさんは、“Diana Vreeland: The Eye Has to Travel” (2011)のco-directorのひとりで、そういえばあの映画も、Diana Vreelandの亡霊がファッションの愉しみを教えてくれる、そんな映画だったよね。
Diorにとってはほんとによい宣伝になったよねえ。
これ、NYのWalter Readeでもちょうど今、10日から16日まで公開しているの。
ぜーんぜん関係ないけど、Other MusicのPop-Up ShopがJFKのTerminal5に ー!!
http://www.othermusic.com/blogs/news/18009868-other-music-pop-up-shop-at-jetblue-t5-april-14
4.14.2015
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