8.27.2013

[film] 大江戸性盗伝 女斬り (1973)

25日、日曜日の昼間、シネマヴェーラでみました。
ニュープリントで画面はきれいだった、けど変な映画、だった。

江戸で、般若のお面をかぶったやつが女性を強姦して殺すという事件が起こりはじめる。
浪人で枕絵とかを描いているしんじろうは博打の借金で30両をなんとかしなければならない。
旗本の若妻にぽーっとなったしんじろうは、お金目当てで旗本と若妻の両方に近づく。
若妻とできてしまったしんじろうは、旗本のお金を強奪すべく、般若のお面をつけて旗本を殺す。
そしたら般若の正体はじつは旗本だった。
般若にやられて生き延びた宮下順子が殺害の現場をみてて、般若にもう一回して、とやってくる。
うざいので宮下順子を殺したら、その死に際にあたしになんかあったら当局が踏みこんでくるからよろしく、ていう。
のこされたふたりはあんぐり ...  (終)

般若の動機はなんだったのか、なんで妻まで殺そうとしたのか、なんで宮下順子は殺さなかったのか、などなど、ものすごく大量のいろんな謎が渦を巻いていて、その状態のままぷつんと終わるので、見ているわれわれも「終」マークと共に唖然としてしまうのだが、金返せ!なかんじにならないのはなんでなのか、を考えている。

『ヤンヤン 夏の想い出』の、リーリーの元カレとティンティンがデートする場面で、人殺しの映画なんてよくない、というのに対して、人殺しはよくないけど、どういうふうにして人殺しは起こりうるのかを映画は教えてくれる、というような会話があって、このへんなのかもしれない。

映画によく出てくる金、権力、性、殺し、恐怖、といったテーマのうち、金、権力、殺し、恐怖あたりは、ふだん扉のむこう、裏の世界の、関わらなくてもなんとかなりそうな世界のおはなしなのだが、性のところは表でもあり裏でもありうる、そんなトンネルみたいな機能/機構でもあって、だからここではどんなに理不尽なこと、ありえないようなこと、理解不能なことが起こっても吸収できそうな想像力の風穴みたいのがあるのではないか。 というようなことを、7月にラピュタで見た「処女かまきり」(1973) のときにも思って、なんでポルノ映画の場合、そういう変なことが起こってもあんまし変には思わないのかしらん、とぼんやりと思って。 (← それはあんたが変態だからだ ... )

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