8.22.2011

[film] Nashville (1975)

週末は天気がもうぜんぜんだめで ...

土曜日に新宿で見ました。
この作品は、2002年の暮れにFilm Forumであった「70年代のアルトマン」特集でも逃してしまっていたので、見たのはたぶん20年ぶりくらい。

アメリカのNashvilleのお話し。いろんなひとがいっぱい出てくる。

パフォーミングアートとしてのCountry & Western、パフォーミングアートとしての政治(大統領選挙)を横並びにしてそのぐだぐだな様を描写していく。

ひとつには領域(音楽)と領域(政治)のぐだぐだがあり、ひとつにはパフォーマーとオーディエンスのぐだぐだがある。 それらはぐだぐだであるが故にきっちりと閉じたもんではなくて、BBCのレポーターが入りこんだり、セレブの実物が立ち寄ってきたりする。

アルトマンにおけるぐだぐだ、というのは例えばこんなようなことをいう。

・ひとは大抵、地位とか立場とか家族のありようとか慣習とかでぐるぐるまきになっている。
・そんななか、偉いひとが思いこみでなんかやったりやらせたりする。
・それを受けたふつうのひとが、まちがったり勘違いしたりして変なことをしでかす。
・それを受けたいちぶの変なひと(自分は変だと思っていない)が、更に変なことをしてかきまわす。
・そういうのを防御したりコントロールしたりする体制側のひとがびっくりして更にかき回す。
・収拾つかない状態のなか、銃とか暴走とか衝突とか墜落とか爆発とか、そういうのがおこる。
・混乱は収まるがだれも自分がわるいと思ってない  →  なんも変わらずふりだしに戻る。 

こんなごだごだの中にあって、なにかを暴きたてるわけでも、なにかを乗り越えたりがんばったりするはなしでもない。
そういう暴きたて、とか乗り越え、とかひとつの視点、力こぶ、ひとつのドラマに集約されることを断固として拒む、それは民衆のうんたらとか、ドラマトゥルギーがどうの、とかそういう要請からでもなく、たんに放っておく。 このざまを見ろ、って。
だって元々そういうもんだし、手をつけたらおんなじ、別のごだごだを生むに決まっているし。

今回も全てを終わらせるはずだった銃声は、なにも終わらせることはできず、変えることもできず、ふだんのざわざわに戻っていくだけなの。 歌でも歌うしかねえか、とか。 最低なの。

"I'm Easy〜" とか "It Don't Worry Me〜" とか。

そして、その最低のぐだぐだの一部始終に鳥籠のようにふわっと被せられる蔽いが、今回の場合だと"Nashville"で(あるときはアストロドームだったり、カリフォルニアのホテルだったり、ウェディングの家だったり)、その加減というか、境界の置きかたが、絶妙なんだとおもう。

例えば"M*A*S*H" (1970)では、その最低さしょうもなさは「戦争」だから、ということでそれなりの説明がついていた。  今回のこれらは、"Nashville"だから、ということで説明がつくのだろうか。

そんなふうに見ることもできるし、(当時としては)新種の、ローファイでトラッシュでゆるゆるのミュージカル、みたいに見ることもできるとおもう。

或いは、オリヴェイラの『春の劇』から干支一回転の後、地獄の門がとっくに開け放たれて、すっからかんのゴミしか残っていないアメリカからの回答、とか。

ほんとに間口の広い、風通しのよい作品で、いくらでも見ていられるの。

この映画には、"Nashville Chronicles: The Making of Robert Altman's Masterpiece"
ていう結構ぶあついペーパーバック解説書があって、こないだ箱のなかから発掘されたので、だらだら読んでみることにしよう。


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