8月5日の最終日に、すべりこみで。
結構混んでいたかも。
映画美学校のことはほとんど知らないし興味もないのだが、「死ね!死ね! xxx」の気分はここんとこずうっと続いているので、そっちのほうから。
チラシには究極のホラー、とあったが怖さはそんなでもなくて、あえていうなら音が気持ち悪いのと女性の叫び声がだめなひとにはきついかも。きつかった。
映画やめますか人間やめますか、というロジック。
映画は世界とか人生とかのすべてを教えてくれた、映画には人生を変える力がある、だからそれに全力で取り組む意志のないやつは人生を捨てているのと同じことだ、だったらそんならそんな人生やめちまえ。
そうそう、そうでなくたってこんな人生、どっちみちどんづまりの地獄だどっちにしても同じようなもんだろ、やっちまえーずぶずぶずぶー。
ごもっともだし、異論はないけどね、でもこっちのほうも根性なしのいくじなしのずるずるでずうっと何十年もやってきたんだもん、そりゃ逃げるよ。
というわけで、念はひとからひとへ連鎖して伝染して、追われるひとは映画館の闇のなかをどこまでも逃げまくる。 映画が闇のなかでしか上映されない限り続いていく、この永遠の循環運動を究極のホラー、と呼びたいひとは呼ぶのかもしれない。
でも、それがなんでホラーなのか、というのは少しだけおもう。
たぶん、ホラーというジャンルだけが、観客の直接的なリアクションを引き出すことができる(by O.Assayas)というあたりに鍵はあるのか、ないのか。
映画館の椅子の間に挟まって逃げられなくなって、その間にぐさー、というのはよく思ったりする。
ライブハウスだと、床が抜けてどさー、とか。
ま、出かけなきゃいいだけなのよ。
併映の『殺しのはらわた』(2006)は、すんばらしくクリスピーで、かっこよかった。
8.15.2011
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。