サマソニは、例によって立ち入り禁止エリアでの開催だったので行かず、15日のこれだけ行った。
会社は病気、ということで休む。 会社の休みは有限なのにライブは無限にある。 いつまでもこんなことやってられないのだが。
開始は7時きっかり。 昨年5月のTerminal5のライブも前座なしの8時過ぎスタートだった。
前座なしで、とにかく集中しろ、ということなのか。
売り切れていたら、という懸念もすこしだけあったので一応前売りを買っていったのだが、さすがにそれはなかった。売り切れていたりしたら、それはそれでこわかったかも (失礼な)。
オープニングの"(This is Not a) Love Song" ~ "Poptones"も昨年のセットから変わらず。
最初は音の分離がえらく悪いかんじで、だいじょうぶかよこれ、だったのだがだんだんによくなっていった。
"(This is Not a) Love Song"、幸せそうに手拍子なんて叩いてるんじゃねえよぼけ!
と、これは83年の初来日のときにも思ったことだったな。
昨年、アンコール冒頭に置いてあった"Public Image"が前のほうに来て、ほぼキャリア順になめていって、"Chant" ~ "Religion"で締める、という構成はおなじ。
"Annalisa"も"Four Enclosed Walls"もなかったか。
世界のどこにでも現れる"Public Image"と個の相克に目をひんむき、声をひっくり返しつつもぐら叩き方式で糾弾する、という当初の基本コンセプトよりは、オープニングの「愛」とエンディングの「宗教」、このふたつに的を絞って集中爆撃をかけていくような、そんなかんじがした。
いまの我々にとって一番やっかいで面倒なこのふたつに。
全体としては今のバンドの音構成を活かすような、マッシヴでベースがくどくど鳴りまくる中~後期の音が映えるかんじ。 このバンドは、巧い、というのとはちょっと違ってて、それはJohn Lydonのヴォーカルをうまいとかへたとか、そういうレベルで括れないのとおなじで、ねちっこいおっさん達の情念プレイが吹きまくってさいごはお手上げ、降参、みたいな。
たぶん、今のこのバンド編成での音像、というのがはっきり見えているのだろう、そういう鳴り方だった。 たんに今年のツアーの締めくくり、というだけではない音のぶちまけよう。
誰かレコーディングさせてやれ。
特にいちばん最後のLeftfieldのあれ、すごかったねえ、あの陰険でだらだら止めてくれないかんじ。 あれこそJohn Lydonだよねえ。
紙ジャケで出ていた"Live in Tokyo"を買って、20数年ぶりに聴いてみる。
これもまた、なんというか、当時はあうー、だったが今聴いてみるとそんなでもない、それなりに固くて軽くて悪くないかも、と思ってしまったのだった。
こうしてひとはゆるゆると腐っていくのである。
8.21.2011
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