19日の日曜日に見てきました。
X-Menシリーズの前史、"Wolverine"もそうだったが、前史のがおもしろい、というのはどうなんだろう。
監督は"Kick-Ass"のMatthew Vaughnで、このひとはきほん直情エモ暴発型のひとなので、どうなるかなあ、だったのだが、きっとBryan Singerが裏でしばいたのだとおもう。終わりのほうとかちゃんと締まってた。
遺伝子だの名前だのによる人種の隔離排斥、国境による冷酷な分断(冷戦)、これらがはじまった20世紀のある地点からこの物語がはじまるのは、極めてまっとうなことのように思える。
そして、それらを「平和」の名の下に強引にドライブした「合衆国」に最終的なツケがまわってくる、というとこも、まあそうよね。
このロジック、というか背景を置いてしまうと、例えば善悪みたいなものは極めて両義的な、相対的なものにならざるを得なくて、そういうふうにして、本作の主人公はErik (Magneto)になるの。
この作品での彼を正義、というつもりはないし、そうすることに意味があるとも思えないのだが、しかし、彼の言うことはいちいち圧倒的に正しく、揺るがない。
なにもしなければ国が我々を潰しにくる、だから戦うしかない、とか、社会に認めてもらいたいのなら、まず自分で自分のことを受け入れることだ、とか。 (ref. "Lonely Planet" by The The)
彼はダークサイドに堕ちたのではない。 国家がその穴を掘り、そこに闇を呼びこんだのだ。
彼の家族に対してそうしたのとまったく同じように。
(これを見てしまうと、Star Warsのep.1~3なんて、めちゃくちゃ甘いし弱いよね)
これに対して善玉であるはずの、Charlesの言葉は圧倒的になよなよとよわい。
「友よ頼むから聞いてくれ」くらいしか言えないCharlesは、鉄のヘルメットで想念も断ち切られ、かわいそうにおしりに穴まで開けられてしまう。
(ふたりのホモセクシュアルな関係については、だれかがどっかでちゃんと書いていそうね)
こうして、キューバで彼らミュータントに向けられたミサイルから全ては始まって、21世紀に入ってからの3部作でこの闘いは決着がついた、かに見えたのだが、実は根っこのとこは何も変わっていないんじゃないか、あのまま終わらせたらまずいんじゃないか、という製作者側(Bryan Singer)の危惧が、前史がいっぱい作られている背景にはあると思うわけです。 実際それでいいのよ。
これの次は、"2nd Class"ができて、以降は5年おきくらいで、"Class of 19xx"とか、学園モノでやっていくといいなあ。
デザインとか意匠とか音楽をその時代にあわせて作っていくの。 おもしろいとおもうけど。
6.27.2011
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