5.09.2022

[film] Doctor Strange in the Multiverse of Madness (2022)

5月4日、水曜日の晩、109シネマの二子玉川で見ました。
これを初日にみたのが唯一GWぽいイベントだったかも。IMAXの3Dで、3Dメガネ付きのは久々。あれだとメガネ必要なのはわかったけど、えらく目が回って頭痛で大変になる人もいそう(帰って寝るだけだったのでだいじょうぶだった)。

MCUの28番目の映画で、監督は前作のScott Derricksonから途中でSam Raimiに替わり、ストーリー設定としてはDisney+でやっていた”What If...?”シリーズと”WandaVision” (2021)のをある程度踏まえていて、でも”WandaVision”の製作とは並行して進んでいたので、Wandaが最後にいる場所とか、ん? てなるところもあるかも。 以下、ネタバレはたぶんしている。

ストレンジがマルチバースのマッドネスを、ということなので要はなんでもありの妖怪大戦争になるだろう、というのが予告を見た感想で、実際見たかんじもそんなもんで、この作品に関しては筋や設定の整合の具合よりもユニヴァースも狂い咲けばここまで行く(行っちまえ)、というのを示すことができればよいのだと思うことにする。見世物小屋の狂気を覗ければいい、と。

Dr. Stephen Strange (Benedict Cumberbatch)が宇宙だか次元だかを行き来して魔物と戦いながら秘伝の魔法の書に辿り着こうとして、その手前で殺られて – という夢から汗びっしょりで目覚めるというのが続いていて、その日はかつて恋人だったChristine (Rachel McAdams)の結婚式で、おれはなんでこんなやくざに.. って手を見つめているとでっかい目玉のげじげじ蛸がいきなり襲ってきて、そいつは先程の悪夢にでてきた少女を追っているらしく、なんとかそれをやっつけると少女はAmerica Chavez (Xochitl Gomez)と名乗って、あの悪夢は本物であんたは死んでいるのだほれこれが死体、とか見せてくれる。

Americaは自分でどうやるのかはわからないが、バースを渡っていくことができる/できてしまうのでその秘密パワーを狙っていろんなのがやってくるのだ、と。そんな事態をどうにかできるのは魔女しかいないな、とStrangeはWanda (Elizabeth Olsen)を訪ねるのだが、実は仕掛けているのはAmericaのパワーをほしくてたまらないWandaのオルタナのScarlet Witchで、StrangeとWong (Benedict Wong)とAmericaはカーマ・タージ(山の上)で彼女を迎え撃つのだが既に別の次元を連鎖でぶち壊す「インカージョン」ていうのが起こっているので、要はぐじゃぐじゃでなにが痛いのか辛いのかもよくわかんなくてどうしようもない。なにが起きてもはぁ… って見ていることしかできないのだが作る側は辻褄合わせたり説明したりするのが面倒くさくて大変だったろうなあ、とか。

この過程で「イルミナティ」っていう別バースの地球にいて戦うAvengersだかミュータントだかの戦隊が出てきたり、ゾンビ仕様のStrangeが出てきたりして、どっちが善玉か悪玉かくらいはわかるものの、見るひとが見ればそれがどうした? でしかないのかも。そんな際どくめんどい戦いは「マルチバース」だから、しかもそれが狂っておかしくなってるから、で大抵の説明がついて、そんなの経験したこともあんま想像したこともないのでうんうん、てなるしかないの。(システム障害です、って説明されてもよくわかんなくてうんうん、てなるのに近い)

例えばWandaがふたりの子供たちと過ごす幸せな日々、Dr. StrangeがChristineと過ごすありえたかもしれない愛の平穏、が一方にあり、他方には文字や本で解読したり千手観音だの曼荼羅だので解毒したりしないとどうしようもない混沌とMadnessがある。この両者はいまの我々の社会にもふつうにそれぞれあってお釈迦様の目線で見ればそこそこ「調和」しているのだが、ここで恐れられているのは、その均衡をぶったぎるパワーを持つものが暴走してコントロールできない状態になっていること、それが複数のバースにまたがって起こるので手がつけれれなくなる可能性がある、と。

映画としてはホラーの仕掛け – 魔女がもたらした呪いと禍 → なにが出てくるのか、誰がやられるのかわからない - を導入したびっくり箱で、そこはSam Raimiなので3Dも含めて申し分ない – あんまし恐くないとこは賛否あるだろうけど。

気になるのはX-Menの最初の”X-Men” (2000)も直近の”Dark Phoenix” (2019)もこれも、つまるところ自分をコントロールできなくなった(と自分で言う)女性がもたらす災厄、を男性の「ヒーロー」がなんとかする話だってこと。これって魔女狩りの時代からずっとこんなままだし、今回のはもろ”Witch”とその反対側に静かで聡明なChristine、さらにまだ子供のAmericaを対置させて沈静化を図ろうとしているように見える。

こんなのでいいのかなー、って。WandaこそThanosをやっつける手前までいったほんとに強くてかっこいい人だし、”WandaVision”は痛ましい傷を懸命にリカバーしようとするかわいそうなお話しだったのになんでまた? っていう文句ははっきりと言いたい。誰に言えばいいのかわかんないけど。これってディズニーだから、っていうのもあるの? 「アナ雪」なんかも同系の去勢話だよね。

あとはここからどこに向かうのかな、って。インカージョンが起こってしまった以上、いくらでも別バースからの新たな敵や獣が玉突き往来自在になってしまったわけで、エンドロールで現れた人も含めてこりゃきりないわ – どこまでつきあうかな、って。 だってこうなっちゃうと「ヒーロー」も善悪もマルチで無限に相対化されていくしかないよね。 そんなマルチバースのありようとSNSについて、どっかに書いたものあるかしら。

あと、別のバースで生きている自分はきっと幸せかも(と星空を見上げる)、っていう発想は支配されている家畜のそれだしそれこそが(意識されてない抜けられない)地獄だと思うし、もろディズニーのやり口なんだわ、って。

でもいまNYのLincoln Centerでやっている特集 - ”The Hong Sangsoo Multiverse”みたいのは、ありだとおもう。

あと、Danny Elfmanの音楽は久々に力が入っていたかも。


Paul HeatonもDave Gahanも60歳かー。 そうだよねえ…  

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