もうなんか、ぜんぜん書いている時間がない。
ぐちはそのうち纏めてぶちまけてやるわ。
んで、これは先々週(かな?)日曜の分なの。
この日はほんとは、銀座のゴキブリ2本だてに行きたかったのだが、かったるかったのであそこまで辿り着くことができず、諦めておとなしくシネマヴェーラで2本だけ。
最初が2004年の"Breaking News"。 漢字だとでっかく『大事件』。
メディアがつくった「大事件」ね。
冒頭、カメラがすうっと下界に降りてきて(この縦運動はこの後も沢山繰り返される)、そのままごちゃごちゃした裏通りの雑踏、えんえん長回しでフレームのなかのどこかでなにかが起こるのを待つ、そろそろかなー、という頃にばん、て追っかけっこが始まる。 はじまったはじまった、てかんじ。
追っかけられる連中はたぶん悪い人たちなのだろうが、悪事を働いた現場とその光景は出てこないので、どれくらい悪いのか、どんなふうに悪いのか、は結局わからないまま、追っかけられたから逃げた、逃げて、しかも逃げる途中でひとを撃ったりした、目つきもよくないし、ということは悪いんだろうねやっぱし、程度。
でも、そもそも追っかけなければこんな大騒ぎにならなかったのにねー。
警察側で指揮をとるケリー・チャンは眼光鋭く眉毛くっきり切れものぽくて、すげえやな女、みたいなところを最後までちゃんと演じている。しかもこいつがいてもいなくても多分おとしどこは同じようなもん、というのが(もちろんわざとで)更にやなかんじ。 偉いやつらなんてそんなもんなのよな。
そうやってショー=ニュースを発信する側に対して、発信される側 - 対抗する盗賊団とたまたまぶつかった殺し屋組、彼らが転がりこむタクシー運転手宅の親子、ビル内で彼らを追っかける下っ端警察、などが鉢合わせして、団地の一角で繰りひろげられる緊迫してるんだか緩んでいるだかよくわからない、でもみんなそれなりに必死なやりとりがまた素敵なのよね。 ここの「食卓」のシーンはやはりすばらし。
Johnnie Toの映画において、しばしば出てくるみんなで食卓を囲む行為にあるのは、食べている間は、ひとみな兄弟みたいな平和原則、というよりもその「囲み」を180度ひっくりかえして銃を持たせればどんぱち、みたいな反転の、でんぐり返しの、紙一重の面白さにあるのだとおもう。 箸と銃と仲間、生きていくのに必要なこれらと、それでも死んじゃうあれら、の間にうまれるドラマとか。
んで、あの延々ひっぱる終り方、どこまでも伸びていこうとする逃走の線は、「大事件」は終るべくして終らない、と思わせておいて、でもやっぱし終わる、でも「終わり」ってなんなの? 誰のための? みたいな非情かつ微妙な余韻を、終りきれない何かを指し示すかのように残して、終わる。
たぶん、Johnnie Toはこれ以降、この終りきれなかった残滓をずっと追い続けていこうとしているのではないかしら。
このあとに見たのは、ベニー・チャンの『インビジブル・ターゲット』(2007)。
これはおもしろかったー。ちょっと長かったけど。
世代的にブルース・リーかジャッキー・チェンかと言われたらジャッキー・チェンのほうなので、ひたすらうんうん、いいねえ、て頷いてた。
追っかけっこして、身体と身体でぼかすかやりあうだけ、もうほんとそれだけ。
えんえん、どこまでも続いていく追っかけっこ、手近のものをなんでもぶちまけていく肉弾戦、ガラス割り、回転書庫責め、エビぞり脳天落ち、対角線カウンター、ものすごく強い敵方、そしてあのフィニッシュ、おまけにNGまで。
ぜったい既にどっかで見ている、そして聴いている3コードのロックンロールなの。でもあざといかんじはしない。みんなものすごく必死だから。目玉むいて白目むいて。
違うとこはー、なんだろ、悪い方の死に方が結構陰惨なのと、追っかける側があんまし汚れないとこかしら。ジャッキーだと、上半身裸で傷だらけのへろへろになって、決死の一発逆転があったのだが、そういうドラマはあんましない。
でもいいの。
いまのフ抜けて気色わるい邦画が永遠に失ってしまったもんが、香港にはまだ残っているのよ。
4.09.2011
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