10.08.2017

[film] Mother! (2017)

5日の晩にVictoriaのCurzonで見ました。
London Film Festivalが始まると普通の公開作品は遠くなってしまうのでとっとと片付けておかなきゃ、と。

“Mother”のおわりに”!”が付いている、ここがポイントなのかしら?
たぶんネタバレしていると思うのだが、別にいいよね。

草原の真ん中に絵に描いたような一軒家あって、そこに夫婦と思われる男女が暮らしている。 男(Javier Bardem)は詩人で作家らしく、部屋に籠ってなにか書こうとしているが難儀しているみたい。女(Jennifer Lawrence)は食事の支度をしたりまだ新しいらしい家の壁を塗ったり主婦仕事全般をしているようで、ふたりは互いに思いやって気遣っていて仲が悪いようには見えない。

ある日彼女の知らない初老の男(Ed Harris)がドアを叩いて、しばらく夫と話したあとでディナーを一緒にして泊めてあげることになるのだがずっと咳してて具合悪そうだし、知らない人になんでそんなことをするのかと夫に聞くと、自分の読者だしもう長くないようだから、と言われる。 暫くすると今度は男の妻らしい女(Michelle Pfeiffer)が入ってきて一緒に暮らし始めるが、この人は作家に対する態度とは違って妻の方には敵意を剥き出しにしてくるのでなんなのこいつ、て思う。

さらにさらに、闖入夫婦の息子と思われる若者2名が猛り狂って現れて家族内小競り合いを始めて、殴りあいの末、兄弟のひとりが頭から血を流して動かなくなって病院に連れていくのだが死んじゃった、と。 で、そいつのお葬式をこの家でやることになって、親族友人一揃いがやってくるのだがこいつらは家の中で好き勝手やるのでいい加減ブチ切れてみんな出ていって! って絶叫するとみんないなくなって、気まずくなったふたりが最悪の状態でセックスをすると翌朝彼女は妊娠したわ、といい、彼のほうは書ける!書けるぞ!!って執筆を始めて、やがて本ができあがる。

本ができあがると興奮した読者だかファンだかが家の周りに集まるようになって、作家は感激してそれに応えたりしているのだが、どんどん数が増えていって家のなかに入ってきて、それを整理する人たちがきて、カルトができて、メディアがきて、警察がきて、軍隊がきて、戦争みたいなことになって、他方で妻のお腹はあっという間に膨れあがって子供が生まれて、すべてがこんなふうで、妻からすると、いったいどうなってるのよこれ?! なことばかりで、夫に訴えても彼女のことは守ってくれるけど、それ以上はいいじゃないか、とか、どうすることもできないんだ、とかいう。

途中でそういうことか、というのはわかるのだが、だからなんだってんだよ、ということで以下感想。

作品を生みだそう作りだそうとしているアーティストが地獄を抱えて苦しむのはわかるしそういう地獄があることもわかるし、それがエンドレスだというのもわかるけど、その地獄は詩人だけのもんじゃない。ギャングにだってパン屋にだって魚屋にだってプログラマーにだって動物園の白熊にだってたぶん等しくあって、でもそんなのわかりあってどうなるもんでもないのだから犬にでも喰わせろ、ていうか、みんなに幸せが訪れますように、て祈るくらいしかないもんではないか。ぜんぜん興味ない世界。60年代じゃあるまいし。

あと、“Black Swan” (2010) でも気になったのだがこのひとのジェンダー観はなんかおかしなところがある気がして(はいはい、たんなる嗜好のようなもんですよ)なんで男はみんな偉そーに苦悩して女は生贄みたいな受け入れ袋みたいな”Home”みたいな存在になってしまうのか、いえいえそういった今の世界のありようをそのまま描こうとしているのです、とかいうのであればラストでJavier Bardemは”The Hunger Games”のDonald Sutherlandのように八つ裂きにされてしかるべきではないか。

それがないのでたんなるアート至上男根主義クソ野郎の自己満作品だと思った。相当こまこま作りこんであるのでマニア受けはするし「クリエイター」の共感は呼ぶのだろうが。

邦題は「おかあちゃーん!」でいいんじゃねえの。

Kristen Wiig、ふっとばされるためだけに出てきたの?

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